こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
国債という借金
公共事業が過剰になされても、均衡財政が実行されていれば、それにはおのずから制約がある。
ところが現代のケインズ以上にケインズ主義的な経済政策においては、均衡財政という制約も廃されて、財政赤字が認められるようになった。
税金で足りない分は、公債発行でまかなえばよいというのである。
課税は強制的だが、国債の発行は強制を伴わないから望ましいなどといわれたりもする。
ともかく、増税よりも公債発行の方が納税者にとって直接の負担が少ないため、政治家は公債に頼る傾向がある。
だが、公債も結局は将来の税金によって支払うしかないから、将来の納税者が負担を負うことになるとはいえ、増税には大きな抵抗があるから、政府はたとえ景気が回復しても、国債を税金で償還するより赤字国債を発行して借り替えることを選択するだろう。
しかし、このままではいつまでも累積赤字が増大するばかりで、財政難は悪化し、利子の支払いさえ困難になる。
そこで政府は貨幣を増発してインフレーションを起こし、財政難を解決する。
オーストリア学派が強調することだが、インフレは単純に価格全体を高騰させるというものではない。
政府支出によって先に新しい貨幣を受け取った人々(たとえば公共事業や軍需産業に従事する人々)は、それによって相対的に得をするが、インフレの波及効果が来るのが遠い人(たとえば年金生活者)はそれによって損をする。
公共事業は多くの場合不効率なものだから、インフレは資源を一層不効率に配分することにもなる。
それはインフレ政策の下でしか需要がない用途に資本を誤投資させるのである。
その結果、長期的には一層多くの失業が生ずる。
インフレは失業の救済策ではない。逆にその重要な原因である。
最悪の場合には政府がインフレ政策をやめられなくなり、超インフレになって貨幣制度が崩壊してしまうが、そこまでいかなくても、インフレは将来世代の納税者に大きな負担を負わせる。
国債を擁護する人々の中には、増税によって国債を償還することは、税金を国債の保有者に移転するだけだから、国民全体としては差し引きゼロである、と主張する人もいる。
この発想によれば、国債は「国の借金」と言われるが、別に国は外国からカネを借りるわけではなく、国民自身から借りているのだから、国民に資産を与えているのである。
しかしこれは詭弁というものである。
外国の機関も国債を買うし、そのことを無視しても、国債保有者と納税者は別々の集合である。
ない制度は、大部分の国民を貧しくする。
いずれにせよ国債の発行が政府の安易な巨大化を招くことは確かである。
感想
国債による国の財政赤字の問題は何十年も前から言われ続けていますが、解決するのは中々難しいと改めて思います。
個人的には、貨幣を発行してしまえばいいのにと思います。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進