こんにちは。冨樫純です。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
シャブ中は生産性を低下させない
覚醒剤に反対するまた別の議論は、「中毒者はまったくの役立たずだから、シャブ中が増えれば経済成長率が低下し、国が貧しくなる」というものだ。
この議論は、国の豊かさを覚醒剤中毒よりも有意義なものと見なしているため、一見もっともらしく思える。
だが実際は、経済成長の定義からしてきわめて疑わしい。
彼らは経済成長、すなわちGDP(国内総生産) の拡大こそが豊かさなのだと主張する。
だが、肝心のGDPの内訳をのぞいてみると、たとえばその10パーセント程度が政府による支出であ
るが(日本の場合、国債発行などによる借金によって、国と地方を合わせた財政支出はGDPの約30
パーセント)、それがわたしたちの豊かさにどの程度貢献しているのだろうか。
その一方でGDPは、家庭における主婦の役割を経済指標として取り入れることができない。
さらに言うならば、経済成長論者は経済におけるレジャーの役割を完全に誤解している。「豊かさ」と言う場合、だれもが余暇になんらかの価値を見出すだろう。
だが豊かさの指標であるはずのGDPは、これをいっさい評価しない。
たとえば、あるすばらしい発明によって生産性が2倍に向上したとしよう。
人々がこれまでと同じだけはたらけば、当然、GDPも2倍になる。その一方で、人々がこの偉大な発明をこれまでの生活水準を維持するために使い、労働時間を半分(すなわち余暇を2倍)にしたならば、GDPは変わらないから、統計上は、人々はまったく豊かになっていないことになるのだ。
覚醒剤中毒が生産性の低下、すなわち経済成長の鈍化につながるとすれば、同様に労働時間を減らすすべての行為が経済成長を減速させ、国を貧しくするはずだ。
そうすると、経済成長を理由に覚醒剤に反対する人々は、夏のバカンスや、禅寺での瞑想や、森のなかの散歩にも反対しなければならず、この禁止リストは際限ないものになるだろう。
余暇を増やすことでより豊かな生活を送る、というのはどこも間違っていない。
その結果GDPが縮小して国が貧しくなるというのなら、そもそもGDPが豊かさを計る指標として意味をなさないのである。
感想
GDPが豊かさを計る指標として意味をなさないとぼくも思いました。
また、「豊かさ」を何で計るかも難しい問題だと思いました。
下記の本を参考にしました
『不道徳教育』
ブロック.W 他1名