こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
家族制度は解体されるか?
私の想像するリバタリアンな社会では家族制度が破壊されてしまうと考える人が多いだろう。
婚姻制度も相続制度も存在せず、親が未成年の子供を養育する義務はあっても、子供が老いた親を扶養する義務は存在しない。
しかし、誤解しないでほしい。
私が現在のような家族生活を営むことをやめるべきだ、と主張しているのではない。
その法定に反対しているだけである。
友情や恋愛が法律によって規定されていないからといって、友人や恋人が作れないということにはならない。
私が提案するようなリバタリアンの社会でも、大部分の人々は事実上一夫一婦制の家族を作り、老いた親の面倒を見るだろう。
この慣習には、人間性に根ざした立派な合理性
があるだろう。
それでも相続制度が廃止され、親への扶養義務が法的には最小化された社会の家族は、確かに現在の家族とはかなり変わってくるに違いない。
そこでは親の扶養義務をめぐる争いはずっと少なくなり、遺産相続をめぐる紛争はほぼ消滅するだろう。
成人した子供と親の間の関係はもっとドライなものになるだろう。
そして代々続く「家」という観念も薄くなるだろう。 法的な絆がないと(事実上の) 離婚も多くなるかもしれない。
このような変化を耐え難いと感ずる人もいるだろう。
しかし自由を愛する人は、むしろそれをどろどろした血のしがらみからの解放と考えるだろう。
親族関係は自発的な友人関係に近くなるので
ある。
感想
たしかに、家族を法律で定めるべきではないかもしれないと思いました。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進