とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

法律はどのように解釈すべきか

こんにちは。冨樫純です。


「法の解釈」についてのコラムを紹介します。


個人的には、法律を制定した人の意図を探って解釈すべきだという考え方に賛成です。


そうでなければ、何のための法律か分からないと思うからです。


法律はどのように解釈すべきでしょうか。


法律を解釈するときに、法律を制定した人の意図を探って解釈すべきだという考え方があります。


法律は立法者が一定の目的のために定めたものですから、この考え方には理由があります。


でも、立法者の意図がどうであれ、制定されたのは法律の条文です。


そして時代や社会の変化に応じ、この条文の意味は変化すると見るべきだという考え方がでます。


この立場では、解釈はあくまで条文の意味を客観的に探るべきだということになります。

 

条文の客観的な意味といっても、条文そのものは記号にすぎません。


それは、なんら特定の意味を内包しているものではないのです。


そこでリアリストと呼ばれる人たちは、条文の意味は解釈者によって付与されるものだと考えました。


そうすると、法律を制定するという行為と法律を解釈するという行為は本質的に同じだということになります。


しかも解釈者はみずからの価値判断に従って法を解釈するもので、解釈が正しいとか問違っているとかいうのは無意味だと主張しました。


たしかに、この見解は説得的です。


でも、それでは、 解釈者は自由に法律を解釈してもかまわないことになり、適切とはいえません。


そこで支配的な見解は、法の解釈が解釈者の価値判断を含むものであるとしても、法律を解釈するときは法律の目的に応じて解釈すべきだと考えています。


目的的解釈と呼ばれるものです。


問題は、解釈を行うときに頭のなかでどのような作業が行われるかではなく、どうその解釈を正当化するかです。


そこで今日では、法解釈を正当化のプロセスと位置づける見解が有力です。


下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

 

夫婦別姓

こんにちは。冨樫純です。


夫婦別姓」についてのコラムを紹介します。


別姓を選択できればいいと思いました。


女性の社会進出が進むにつれて、婚姻による改氏が女性の職業活動や社会活動にとって不都合·不便であることや、改氏によって自己のアイデンティティを喪失するように感じること、さらに、条文上は夫と妻のいずれかの姓を選択できるようになっているから男女間の差別はないと形式的にはいえる。


しかし、夫の姓を選ぶべきだとの社会的圧力(そこには「家」 制度の名残がみられる)があるため、妻の姓を選択する夫婦は圧倒的に少数であり、実質的には不平等であるとして、夫婦同氏制は批判の対象となっている。


そこで、婚姻法改正要綱は「選択的夫婦別姓」の導入を提案している。


要綱のいう選択的夫婦別姓とは、夫婦が婚に際して夫婦同姓(夫または妻の姓を名乗る)にするか、それとも、夫婦別姓(それぞれ婚姻前の姓を名乗る)にするかを選択できるという制度である。


1996年には国会への法案提出の直前までいった

が、夫婦別姓が導入されると家族共同体のつながりが崩壊することなどを理由とする当時の与党自民党の反対にあい、いまだ実現をみていない制度である(1998年以来, 類似の内容を有する民法改正案が議員立法として何度か国会に提出されているが、これもまだ立法化にはいたっていない)。


世界的にはさ夫婦別姓は珍しい制度ではない。


もっとも、問題は、別姓夫婦から生まれた子どもの姓である。


婚姻法改正要綱は、婚姻の際に夫婦のいずれかの姓を子どもの姓として定めなければならないとしている。


これに対しては、婚姻の際にそのような選択をさせるのは、夫婦は子どもをもつものであるという意識を助長するものであることや、なぜ第1子と第2子で氏が違ってはいけないのかなど (出生時に父母が協議して決める方法もあろう)、批判もなされている。


下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

 

 

介護保険とは

こんにちは。冨樫純です。

 

「老親扶養と介護保険」についてのコラムを紹介します。

 

人生100年時代、60歳て定年退職しても、あと40年くらいある人生を考えると、必要な制度だと思いました。

 

高齢者介護をめぐる家族の過重負担の軽減という点から注目されるのは、2000年4月から施行された「介護保険法」にもとづく介護保険制度である。

 

この制度は、40歳以上の人が被保険者となる社会保険(健康保険と同じく強制加入)で、被保険者が、寝たきりなどの介護を必要とする状態(要介護状態) や要介護状態になるおそれのある状態(要支援状態)になったと認定された場合には、在宅介護サービス(ホームヘルパーが家に来て入浴、排池、食事等の介護などの日常生活上の世話をする「訪問介護」など)や、施設介護サービス(たとえば介護老人福祉施設での、入浴、排池、食事等の介護、そのほかの日常生活上の世話、リハビリ、健康管理、療養上の世話など)の給付を受けることができるという制度である。


特徴的なのは、介護サービスが、要介護者、要支援者の選択や残存能力に応じて、自立した日常生活を営むむことができるように作成される「介護サービス計画(ケア·プラン)」にもとづいて供給されるということであり、要介護者の「自立支援」をめざした制度であるとえる。


また、介護サービスの給付は、事業者等との「契約」によることになるため(従来は、老人福祉法にもとづく 「行政措置」としてサービスが「与えられて」いたので、利用者がサービスの種類や提供機関を選択できなかった)、この契約を支援するためにも民法成年後見制度の改正が介護保険法と同時施行された。


なお、高齢者の日常生活支援という点では、高齢者の日常の預貯金の出し入れや、生活用品の購入などを手助けする地域福祉権利擁護事業が市町村の社会福祉協議会などによって行われていることも注目に値する。


下記の本を参考にしました。

 

『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

法と道徳の関係性

こんにちは。冨樫純です。


「法と道徳」についてのコラムを紹介します。


法と道徳を折衷した形がやはり望ましいと思いました。

 

法と道徳は、どのような関係にあるのでしょうか。

 

この問題はしばしば「悪法も法か」 という形で問題とされます。


つまり道徳に反するような法も法といえるのかというのです。


これについて、2つの考え方が対立してきました。


1つは、道徳に反していても法律としてきちんと制定されている以上、法は法だという考え方です。 法実証主義と呼ばれています。


これに対しもう1つは、「自然法」 と呼ぶことができるような高次の道徳に反するような法律は、たとえきちんと制定されていたとしても法とはいえないという考え方です。


自然法論と呼ばれています。


このどちらが適切な考え方なのかは大変難しく、いまも多くの法律家が悩んでいるところです。


第2次世界大戦のおりドイツのナチスは、議会を通して全権を掌握し、ユダヤ人を劣った民族だとして大量に虐殺しました。


そこで戦後は、自然法思想が台頭し、たとえきちんと法律として制定されても道徳に反主るような法律は法とはいえないとする見解が有力になりました。


でもその後、世界が落ち着きを取り戻すと、道徳を理由に法律に抵抗することを認めることが実定法秩序を崩壊させる危険性があるとして、自然法に懐疑的な見解も主張されています。

 

現在の日本では、憲法基本的人権を保障し、自然法と呼ばれた道徳の中身を憲法自体が保障していますので、かつてのような悪法が正当に制定されるということはありえません (それらの法律は憲法に反し、正当に制定されたとはいえないでしょう。ナチスの法律も正当に政権をとり正当に制定されたとは思われません)。


でも、それを超えたところで、なお憲法をも超えた自然法を認めるべきかとどうかが争われています。


下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

製造物責任問題

こんにちは。冨樫純です。


製造物責任」についてのコラムを紹介します。


確かに、欠陥があった場合、なんでもかんでも製造者の責任というのは違和感があると思いました。


医薬品の副作用や食品に毒物が混入していて健康被害が生じた場合(スモン事件、森永ヒ素ミルク事件など)や、テレビからの発火によって建物が燃えてしまったという場合(テレビ発火事件)。


被害者はその製造業者に対して損害賠償請求をできるだろうか。


契約違反(債務不履行)に基づく損害賠償をするには契約関係の存在が前提となるが (本文参照)、現代の流通では、製造業者と被害者(消費者)が直接の契約関係にあることは稀である。


他方、不法行為に基づく損害賠償をするには、被害者が製造業者の過失を証明しなければならず、それらの製品の設計·製造等において過失があったことの証明には、専門知識や、部外者には知りえない製造業者の内部事情についての情報も必要であり、困難がともなう。

 


しかし、消費者は大量生産される製品を購入するしか選択肢がないなかで被害を被っているのに対して、製造業者は製品の安全性を確保しやすい立場にあるばかりか利益をあげている。


そこで、製造業者は欠陥製品から生じた損害について責任を負うべきであり、それを認めやすくする製造物責任という考え方が世界的に広がっている。


わが国では、民法の特別法として製造物責任法が 1994年に成立している。


同法は、製造物の欠陥によって他人の生命、身体、財産に損害が生じた場合、製造業者等は被害者に損害賠償をする義務があるとする(3条)。


大事なのは、製造業者の責任の根拠が「過失」ではなくて「欠陥」ある製品(通常有すべき安全性を欠いている製品)を市場に送り出したことに求められている点であり、これは無過失責任立法のひとつである(欠陥責任などといわれる)。

 

もっとも、その製品を市場に出した時点の科学技術の水準では欠陥を認識できなかった場合にはメーカーは免責されるなど (開発危険の抗弁、4条1号)、過失責任の要素が完全になくなったわけではない。

 

下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

法律すべてを把握するのは不可能か?

こんにちは。冨樫純です。


「さまざまな法律の分類」についてのコラムを紹介します。


法律を勉強し始めると、「六法」とよく言われますが、その理由が分かりました。


法律家というと、あるいは法学部出身であるというだけで、しばしば法律のことなら何でも知っていると思われがちです。


でも、法律を学べば、それが大きな間違いであることに気づくのにそんなに時間はかからないでしょう。


法律はあまりにもたくさんあって、法律すべてを理解するなんて不可能なのです。


でも、日常生活に必要な法律はそんなに多くはありません。


それらは、憲法民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法などであり、通常「六法」 と呼び慣わされているものです。


これらの法律の基本さえ理解していれば、あとは必要なときに、必要なことを調べれば、それで何とかなるものです。

 

これらの法律は、いろんな形で区別されます。

国や地方公共団体と国民あるいは住民との間の関係を規律する法を公法(憲法など)と呼び、私人間の関係を規律する法を私法 (民法や商法)と呼ぶことがあります。


また、国や地方公共団体と国民ないし住民との関係や市民相互間の関係を直接規律する実体法 (民法や刑法)と、それを争う手続を定めた手続法 (民事訴訟法や刑事訴訟法)とに区別することもあります。

 

これ以外に、行政を規律する行政法、労働関係を規律する労働法、取引や経済活動を規律する経済法など、法律の分野にはさまざまなものがあります。

 

また、国を離れ国際社会に目を移せば、国と国の合意である条約や国際慣習法などによって構成される国際法があります。


これらの個別の法領域は、あくまで基本となる六法を理解していなければ適切に理解できません。


下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ

 

 

裁判所に訴えるとは

こんにちは。冨樫純です。


「訴えの提起」はについてのコラムを紹介します。


テレビドラマなどで「訴えてやる」と感情的に言うシーンがありますが、「訴訟要件」を満たすことが前提としてあることを学びました。


訴えの提起は、訴状を裁判所に提出する方法で行う(民訴 133条)。


なお、わが国は「弁護士強制主義」をとっていないので、「本人訴訟」 も認められる。


ところで、裁判所はどのような訴えでも引き受けてくれるとは限らない。


「訴訟要件」 が整っていなければ訴えは実体審理もしてもらえず「却下」(いわば門前払い)される 。


また、それぞれの訴えには、判決を下すだけの正当な利益(訴えの利益)がなければならないし、それぞれの原告、被告がその事件において判決の名宛人となるにふさわしい者である必要もある (当事者適格)。

 

下記の本を参考にしました。


『はじめての法律学』HとJの物語

  松井 茂記 他2名

  有斐閣アルマ