とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

人は楽しいことなどもとめていない

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル

 


人は楽しいことなどもとめていない

 


退屈する人間は興奮できるものなら何でももとめる。

 


それほどまでに退屈はつらく苦しい。

 


ニーチェも言っていた通り、人は退屈に苦しむのだったら、むしろ、苦しさを与えてくれる何かをもとめる。

 


それにしても、人が快楽などもとめていないとは驚くべき事実である。

 


「快楽」という言葉がすこしかたいなら、「楽しみ」と言ってもいいだろう。

 


退屈する人は「どこかに楽しいことがないかな」としばしば口にする。だが、彼は実は楽しいことなどないだろう。

 


彼がもとめているのは自分を興奮させてくれる事件である。

 


これは言い換えれば、快楽や楽しさをもとめることがいかに困難かということでもあるだろう。

 


楽しいことを積極的にもとめるというのは実は難しいことなのだ。

 


しかも、人は退屈ゆえに興奮をもとめてしまうのだから、こうも言えよう。

 


幸福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなくて、楽しみ快楽をもとめることができる人である、と。

 


楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生活していることよりも、むしろ、そうしたものを心からもとめることができることこそが貴重なのだ。

 


有名な聖書の言い回しをもじって、こんな風に言えるだろうか。

 


幸いなるかな、快楽をもとめることのできる人。

 


彼らは事件をもとめることがならば問題は、いかにして楽しみ快楽を得るかではない。

 


いかにして楽しみ・快楽をもとめることができるようになるか、である。

 


感想 

 


楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生活していることよりも、むしろ、そうしたものを心からもとめることができることこそが貴重なのだ、と主張していますが、そうかなと思いました。

 


楽しみ・快楽を既に得ている人の方が幸せに思えます。

 


下記の本を参考にしました

 


『暇と退屈の倫理学

 國分 功一郎

 新潮文庫

 

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