とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

リバタリアニズムとは

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


リバタリアニズムは、左翼か右翼か中道か?

 


おそらく一番わかりやすいリバタリアニズムの説明は、諸個人の経済的自由と財産権精神的・政治的自由も、ともに最大限尊重する思想というものだろう。

 


精神的自由や政治的自由のようないわゆる「個人的自由」の尊重を説く一方、経済的活動の自由を重視せず経済活動への介入や規制や財の再分配を擁護するのが「リベラル」であり、その逆に個人的自由への介入を認めるが経済的自由は尊重するのが「保守派(コンサーヴァティヴ)」である。

 


そして個人的自由も経済的自由も尊重するが「リバタリアン」、その逆にどちらも尊重しないのが「権威主義者(オーソリテリアン)」あるいは「人民主義者(ポピュリスト)」である。

 


その極端な形態を「全体主義」と呼ぶことができる。ファシズム共産主義はこれに属する。

 


なお今の日本で伝統尊重を唱えて「保守主義者」と呼ばれる人々は、グローバリズム規制緩和の動きに反対する傾向があるから、この図では「保守派」よりも「権威主義者」に近い位置を占める。

 


「リベラル」は「福祉国家リベラル」と呼ぶと一層わかりやすいが、ヨーロッパ(そして日本) ならば社会民主主義と呼ばれる左翼的立場であり「保守派」は右翼的立場である。

 


リバタリアンはしばしば「経済やビジネスについては保守的(右派)だが、社会的問題についてはリベラル(左派)だ」と言われる。

 


ちなみに日本の憲法判例理論も憲法学界の通説も、表現の自由への規制は厳しく審査しなければならないが、経済的自由への制約はそれほど厳格に審査する必要がないという「二重の基準」論をとっている。

 


これは福祉国家リベラリズムの立場である。ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(1859年)は言論の自由・思想の自由の弁護論として比類ない古典で、リバタリアンに霊感を与えてきたが、彼は『経済学原理』(1848年)では財の再分配のための国家の経済介入を支持して、福祉国家思想の先駆者になったから、この分類によれば「リベラル」に近い。

 


個人的自由と経済的自由とを別物であるかのように表現している点で、誤解を招く恐れもある。

 


リバタリアンの観点からすれば、経済的自由は人身の自由や表現の自由や信教の自由などと同様、個人的自由の不可欠の一部である。

 


経済活動が芸術活動や宗教活動に比べて尊重に値しないなどということはない。

 


感想

 


ぼくの理想は福祉国家リベラリズムに近いかなと思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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