こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
リバタリアニズムが理想とする国家は民族との結びつきを重視しないコスモポリタンなものであって、その点では、近代的な国民[民族] 国家 (ネーション・ステイト)よりもむしろ、多様な民族と文化を共存させて通商と交流を可能にしていた前近代的な帝国(エンパイア。その典型は古代ローマ帝国)に近い。
またそれは、政治的決定を住民に委ねるという点で民主的だが、いかなる政治的決定も個人の基本的自由を侵害できないという点で、純粋に自由主義的な国家である。
それは、自由主義的法秩序の維持と最小限の公共財と社会保障の提供という中立的な任務以外に、何ら独自の目的も理想も持たないし、特定の民族の歴史とも結びつかない。
「そんな無国籍的な国家はそもそも国家という名に値しない」と言われるかもしれない。
しかしそれが国家の名にふさわしいかどうかは重要な問題ではない。 リバタリアンにとって大切なのは、国家ではなくて諸個人なのである。
感想
国家とは何かという論点は残されていると思いました。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進