こんにちは。冨樫純です。
「偽りの記憶」についてのコラムを紹介します。
記憶が曖昧であればあるほど、人からこうでしたよねと言われたら、そうだったかも知れないと感じることはあると思いました。
1990年代のアメリカでは、心の問題を抱えた人が、偏執的で問題のある一部のカウンセラーに、「あなたは子どもの頃、虐待された可能性がある」 と聞かされ、さらには催眠を含む暗示や誘導を受けて、「子ども時代に親から受けた虐待」 を思い出したという例が数多く報告された。
こうした例の多くでは、 実際には虐待はなく、カウンセラーによる偽りの記憶の植え付けが起こっていたが、そのために多くの家族が崩壊し、無実の親が起訴され、収監されたのである。
しかし、そのようにありもしない虐待を、本当に自分の記憶と信じるようになるのだろうか。
ロフタスら(Loftus & Ketcham, 1994) は、子ども時代の偽りの記憶を大人の心に移植する実験を行った。
たとえば、「ショッピングセンターで迷子になり、怖かったが、最後は老人に助けられて家族に再会できた」 あるいは 「結婚式のパーティーでガラス製ボウルをひっくり返した」 というような、「倫理に触れない範囲」で外傷的な記憶を移植すると、成人の4分の1に偽りの記憶をもたせることができたと報告している。
こうした実験により、偽りの虐待記憶が作られた可能性が示され、親たちの冤罪も晴れたのである。
下記の本を参考にしました
『心理学』第5版補訂版
鹿取 廣人 他2名