こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ソールズベリのジョン
12世紀ルネサンスを代表する知識人にソールズベリのジョン がいる。
イングランドに生まれたジョンは、パリに出て、さらにはシャルトルの司教座聖堂附属学校で学問を修めた。
そこで新たな知の動きや学問像を学ぶ一方、やがて教会政治・外交の渦中で人生を過ごし、亡命生活を過ごすなど苦衷も味わった。
その主著である『ポリクラティクス』は、国家を身体の比喩で語る有機的国家論として知られている。
ジョンは、頭から足に至る人体の構造と比較することで 君主から農民へとつながる国家の階層的な身分秩序を正当化する一方、人体の各器官が共通の目的に向かって協働していることを強調した。
健康な体が、各器官それぞれの機能を通じた全体的調和の働きによって維持されるのと同様に、国家もその共通善を維持実現するために、各構成員の義務と役割の全体的協調が必要である。
もちろん、人体の各器官の機能が異なるように、国家の構成員の間にも支配するものと支配されるものとの関係は確固として存在する。
しかしながら、その関係は一方的なものではなく、政治体の健康の回復のためには、機能不全に陥った暴君の放伐も否定されないとジョンは主張した(暴君放伐論)。
聖職者と世俗の君主の関係はどうか。
ちなみに、ジョンは、君主を頭に、聖職者を魂としている。この場合、 魂は身体の上位にあって身体を指導するとしても、厳密にいえば、魂は身体の器官ではない。
そうだとすれば、一個の世俗国家にあって政治的支配を司るのは、あくまでその頭である君主ということになる。
君主は神に従うが、地上において神の位置に立ち、人々の服従の対象となるのは君主である。
人間の各器官が、頭の指示に従うことで健康になるように、国家の各構成員もまた、君主の指示に従うことで安全を確保するというのが、ジョンの比喩の政治的意味であった。
感想
国家を身体の比喩で捉えるという発想がおもしろいと思いました。
全体的調和と全体的協調は人体にも政治にも不可欠な部分だと改めて思いました。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ