とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

国家は廃止すべきか?

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で法哲学を学んでいます。

 


そこから、関心のある法哲学的問題を取り上げて紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


問題 国家は廃止すべきか?

 


国家不要論に関連する法哲学上の諸論点

 


①国家的権利としての自己所有

 


17世紀末期のイギリスでジョン・ロックが王権神授説と奴隷制を否定するべく主張した概念である。

 


日く、人々は国家の成立以前から、生来の自然権を平等に持っている。

 


それは、誰もが自分の身体を所有して生まれてきたことに由来する。

 


自分を保全し、かつ自分の一身を「所有」するという権利である(ロック 1690)。

 


おのれの身体を所有すなわち支配する者はまさにその当人のみであるから、その人の身体に対して、それ以外の何者も支配を行使することはできない、ということになる。

 


この議論からさらに、人は自らの一身を用いて労働した結果獲得した外物や産物についての正当な所有権を他者に対して主張できるという帰結が導かれる(ロック 1690)。

 


②自由放任主義

 


グラスゴーの経済学者アダム・スミスが『諸国民の富』(邦訳題は『国富論』)(1776年)において論じた自由市場経済の鉄則である。

 


人間の経済活動は政府によって干渉されてはならず、個人の自由に委ねておけばおくほど社会全体はより豊かで望ましいものになるという考え方である。

 


また市場でのフェアな競争が需要と供給の均衡をもたらし、商品の適正な量と価格を実現するという。

 


③自生的秩序

 


経済学のオーストリア学派を代表するフリードリッヒ・A. ハイエクが論じた。

 


多くの効率的な制度は、何者かの設計し指令する知性によることなく、各人が個人的な目的を実現することに専念するうちに自ずと生起し、機能しているという秩序観である(ハイエク 1949)。

 


この秩序は中心を持たず、また特定の目的を持つものでもない。

 


④互酬性

 


ハイエクの説明によると「人間が自らの選択によって、また自らの日常の行動を決定する動機から発して、他の全ての人々の必要にできる限り多く貢献するよう導かれることが可能なような一連の制度」(ハイエク 1949) である。

 


よく知られている言い回しでは「情けは人のためならず」、すなわち、長期的な視野に立てば自己利益に資することが期待できるが故にこそ、人々は利他的行為を相互に遂行するということである。

 


スミスはこれを、市場経済のなかに自ずと働くシステムとみている。

 


リバタリアニズム

 


福祉国家を否定し、政府の機能を治安維持と裁判、一部の公共財の供給のみに縮小し、市場社会における個人の自由を最尊重する思想群である。

 


有名な論者ロバート・ノージックのように自己所

有権や自然権を義務論的に貫くがゆえの最小国家論もあれば、国家の業務を可能な限り民営化したほうが効率的によいという理由からの、帰結主義的な最小国家論もある。

 


ノージックは1974年に刊行された『アナーキー・国家・ユートピア」において、ロックの自己所有論と権原理論を実践的に貫徹した場合の社会像として、リバタリアニズムを掲げた。

 


そこでは個人が自己労働で得たものについて正当で排他的な所有権を主張でき、政府の役割は各人の生命・自由・財産を保護することに限られる。

 


政府は各人の自然権である自己所有権と財産権を侵害してはならないがゆえに、福祉政策のための強制的な所得の再分配を行うことは許されないということになる。

 


アナーキズム

 


1789年のフランス革命後における革命政府の独裁、またロシアのツァーリズムに反発する人々から、主に19世紀に生まれた思想である。

 


啓蒙思潮を前提に、政府や議会立法など上からの強制をいっさい否定し、人々の自発的な契約や経済的つながり、相互扶助などに基づいて自然に生ずる無政府社会状態を希求する思想群である。

 


ピエール・J. プルードン(仏)、ミハイル・A. バクーニン(露)、ピョートル・A.クロポトキン(露)、

マックス・シュティルナー(独)などが知られている。

 


タイプとしてはプルードンに代表される個人主義アナーキズム(反中央集権と地方分権を唱え、政治を経済に還元し、取引と交換に基づく社会秩序を求める)、クロポトキンに代表されるコミューン型(生産消費をはじめとして人々の生活全体を地方コミューンに委ねる)、バクーニンに代表される集産主義的アナーキズム(労働者による組合の自由連合を社会の基礎とする)があるが、いずれも政府を持たず、法については黄金律や良心など1つないし最小限の掟で足りるとする。

 

 

 

⑦アナルコ・キャピタリズム

 


リバタリアニズムをさらに推し進めて、国家の存在意義の最後の砦とされてきた治安維持・国防・司法すら民営化できるとして、国家の完全廃止と市場経済の全面化を主張する議論である。

 


代表的な論者としては個人の自然権に訴えかけるマリー・ロスバード、帰結主義的なディヴィド・フリードマン、契約論に基づくジャン・ナーヴ

ソンなどがあげられる。

 


この立場は個人の生命・身体・財産の安全の供給源を政府にでなく、もっぱら市場に求める。

 


私有者には自らの財産をよく保持したいというインセンティヴが働くという点を重視し、公共財を私有財産に分割し、それぞれの所有者に管理運営させることを提案する。

 


それによって環境保全、治安維持などが、政府によるよりも効率的に実現されるという。

 


感想

 


これらの主張を知ると、国家がどこまで関与すべきか考えさせられます。

 


下記の本を参考にしました


『問いかける法哲学

   瀧川 裕英著

 法律文化社