とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

12世紀ルネサンス

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


12世紀ルネサンス

 


聖俗の両権が並立するかたちでヨーロッパ社会が安定を見せる中「12世紀ルネサンス」 が到来する。

 


ちなみに、「カロリングルネサンス」 という言葉を用いたが、いずれも 「ルネサンス」という言葉の本来の意味からすれば、逸脱的な用法である。

 


というのも、現在の意味での「ルネサンス」という語をはじめて用いた19世紀の歴史家ミシュレやブルクハルトが念頭に置いていたのは、14世紀から16世紀にかけてのイタリアを中心とする古典

古代の文化の復興運動であったからである。

 


本来の「ルネサンス」 史観に立てば、それ以前の時代は 「暗黒時代」ということになる。

 


しかしながら、このような見方は今日、大幅に修正されている。現在では、「暗黒時代」とはむしろルネサンスの連続であったと考えられている。

 


12世紀ルネサンスの背景になったのは、経済の発展である。 この時期、農業生産力の拡大や商業の復活が見られ、人口も増大した。

 


ヨーロッパ各地に都市が勃興し、やがてボローニャ、パリ、オックスフォードなどの大学も生まれる。

 


修道院司教座聖堂の附属学校に加え、新たに台頭した大学が12世紀ルネサンスの基盤となった

のである。

 


しかしながら、 12世紀ルネサンスをヨーロッパ内部の視点から、この時期にルネサンスが可能になったのは、ヨーロッパ世界がイスラム的アラビア世界の先進的文明に接し、そこからギリシアやローマ、さらにはアラビアの学術や文化を取り入れたためである。

 


いわばルネサンスは、文明接触の産物であった。

 


その拠点となったのは、アラビアとヨーロッパの接触点となったスペイン、近代官僚制国家の先駆として知られるシチリア、そしてヴェネツィアを中心とする北部イタリアであった。

 


知識人たちは、このような場所に出かけ、学術の吸収に努めた。

 


そもそも古典古代の学術や文化のうち、ヨーロッパ世界へと直接受け継がれたのは、その一部にすぎなかった。

 


相対的によく読まれたキケロの著作にしても、すべてではない。

 


プラトンアリストテレスに関しては、プラトンの一部の著作を例外に、ほとんどが忘却されていた。

 


ところが、この時期になってはじめて、アリストテレスの著作のラテン語訳が進んだのである。

結果として 12世紀ルネサンスにおいては、ラテン古典の復興、『学説彙纂』(533年)を中心とするローマ法の復活のみならず、ギリシアやアラビアの哲学や数学、自然科学が広く紹介された。

 


12世紀ルネサンスのこのような側面を代表するのが、シャルトル学派である。

 


感想

 


大学発信でルネサンスが進んだ時代もあったことに驚きました。

 


現代ではあまり考えられないからです。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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