とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ロックとキリスト教の世界観

こんにちは。冨樫純です。

 


政治哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル

 


ロックとキリスト教の世界観

 


ロックの時代、ヨーロッパの人びとの精神はキリスト教の影響下にありました。

 


ソクラテスプラトンアリストテレスの時代の後、当時はローマの属州であった現在のパレスチナの街ベツレヘムで、イエス・キリストが誕生し、ユダヤ教を母体とするキリスト教が確立されていきました。

 


キリスト教ユダヤの民以外の異教徒にも祝福を与えることを目指してローマ帝国各地で布教を行い、313年のミラノ勅令によって公認され、380年には国教となりました。

 


以降は政治権力との結びつきを強めつつ、世界宗教となっていったのです。

 


国境を越えるキリスト教会の権力と、国境内部で君主がもつ国家権力の相互依存的二重体制。

 


この体制は、1648年のウェストファリア条約によって三十年戦争終結するまで続きます。

 


国家は、国境の外部からの干渉を、教会によるものも含めて排除できる、「主権」と重なるようになったのです。

 


人びとの精神も徐々にキリスト教から自由になってゆきます。

 


キリスト教は、大地と動物を、神によって与えられた人類の共有物と見なしていました。

 


人間以外の動物=下級の被造物の道徳的地位は人間よりも低いとされていたのです。

 


ロックが『統治二論』の後篇「政治的統治の真の起源、範囲、および目的に関する論」「市民政府

論」、あるいは「市民政府二論」という訳語をとっている訳書もあります。

 


第五章「所有権について」で唱えたのは、人間はこの共有物の一部分に対して自分の労働を混合させることで所有権を獲得するという説です。

 


これは今日ではロックの労働混合説と呼ばれています。

 


斬新なアイデアですが、神によって生みだされた人間が自分の身体を自分の所有物とすることは神への冒瀆にあたらないのか、という疑問も浮かびます。

 


いずれにしても、ロックが正当化した「所有権」は非常に強い権利であり、対象物を全面的に支配する権利を指します。

 


所有権は財産権の一つですが、たとえば日本国憲法は第二九条で「財産権は、これを侵してはならない」と定めています。

 


そして民法二〇六条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」と定めています。

 


排他的な使用権、収益権、そして処分権を伴う所有権は、税負担を抜きにすれば、その持ち主にとってたいへん有利な権利です。

 


生誕と同時に広大で肥沃な土地を所有することになった人と、何も所有していない人。

 


この二人しかいない社会で、二人が自由市場で合理的にふるまうとした場合、何も所有していない人の人生の見通しの悪さは、想像に難くありません。

 


ロールズ正義論はこのような偶発性に対処しようとしたのでした。

 


そのような理由で、ロックの所有権論の方は、リバタリアンの正義論の根拠に据えられることが多いのです。

 


ただしロックの場合、共有物への所有権は、それらが「自分の生活の便宜のために利用しうる限りのもの」に制限されています。

 


たとえば無駄に腐らせてしまうほどの果物への所有権は認められないのです。また、土地への所有権も同様であって、「隣人に損害を与えてまで自分の所有権を獲得したりすること」は想定されていません。

 


ロックが所有権の設定に付したこうした条件は、今日では「ロック的但し書き」と呼ばれています。

 


感想 

 


人間はこの共有物の一部分に対して自分の労働を混合させることで所有権を獲得する、という箇所がおもしろいと思いました。

 


「混合」という言葉が特におもしろいと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『正義とは何か』 

 現代政治哲学の6つの視点

 神島 裕子著

 中公新書

 

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