こんにちは。冨樫純です。
「国民負担率」に関するコラムを紹介します。
将来、給付されないかも知れない年金を考えると、ぼくは、「負担」という印象が強いです。
国民負担率については、そもそもの概念自体や名称に対して批判がある。
たとえば、国民に還元される給付の裏づけとなるもので負担という側面だけを論ずるのは適当でないという意見。
あるいは、租税や社会保険料という「国民負担」によって賄われる介護サービスが社会的に用意されなければ、それは寝たきり老人を抱えた家族の中だけで困難な負担を背負わせることになり、両者はトレードオフの関係にあるという、もっともな指摘もある。
とりわけ、言葉のイメージの独り歩きには気をつけたい。
ただ他方で、租税と社会保険料が、個人の意思にかかわらず公権力により強制的に徴収される点で、その限度やあり方はやはり国民的な議論を経て、合意を形成する努力も必要だろう。
日本では昔から「四公六民」という言葉があり、公租公課は4割が限度という経験的な庶民感覚もある。
また、租税や社会保険料の増加が働く人たちの自由に使える手取り所得を減らすことも事実。
要は、社会保障だけに限っていえば、一方で給付全体の再編成や効率化をぎりぎりまで進めたうえで、ここまでは連帯による国民の負担が必要だ
ということを示し、広範な合意を取りつけていく努力を真剣に重ねていくことが何より大切だ。
国民負担率という数字はそのための参考材料の1つと考えればいいのではないだろうか。
下記の本を参考にしました。
『はじめての社会保障 』福祉を学ぶ人へ
椋野美智子・田中耕太郎著 有斐閣アルマ