とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

味覚は動物的か?

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


本能的・動物的?

 


味覚をはじめとする直接的な感覚は「本能的」「動物的」だと言われたりすることが多い。

 


だが、それを明確に示そうとした議論は見たことがない(私が知らないだけかもしれないが)。

 


むしろ、時代的な偏見や漠然としたイメージに基づいていることがほとんどである。

 


ここでは、そうした漠然とした偏見やイメージを検討しよう。

 


直接的な感覚を本能的・動物的とみなす論点の一つとして、それらの感覚は「生存に直結する」と言われることがある。

 


味覚や嗅覚は目の前のものが食べられるかどうかを判定するために重要だ。触覚で感じる痛みは体に与えられる危害を回避する行動を促す。

 


直接の感覚で感じるものは、自分の体に接触するものであり、生きていくうえで重要であるというのだ。

 


しかし、生存に必要な情報を得るというのはどの感覚にも当てはまる。離れたところに危険なものがあったり、それが迫ってきたりしていることは、視覚や聴覚によって捉えられる。

 


むしろ、離れているうちに察知する方が良い。離れたところにある段階で危険を察知して回避した方が生き残る確率が上がるからだ。

 


体に直に触れたときにはもう手遅れかもしい。

 


そうすると視覚や聴覚は、生存に影響を与えるものが体に直に触れる前に知覚するために備わったとも考えられる。

 


そうであるなら、視覚や聴覚こそ「生存に直結する」もの、生存する確率をより高めるために獲得されたものということになるだろう。

 


もしここで「生存のための感覚は知性的ではない」と主張するなら、視覚ですら知性的でないと言う羽目になる。

 


しかし、これでは低級感覚と高級感覚の区別がつけられなくなるどころか「感覚はすべて知性的でない」ということになってしまう。

 


そして「私たちはどの感覚でも美的な評価を下せない」という受け入れがたい結論が導かれてしまうだろう。

 


そうである以上、生存の観点から低級と高級を区別する方針はふさわしいものではない。

 


感想

 


生存の観点から低級と高級を区別する方針はふさわしいものではない、という筆者の意見は説得力があると思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『美味しい』とは何か    

 食からひもとく美学入門

 源河 亨

 中公新書

 

flier(フライヤー)