こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 自分と社会をつなぐ「橋と扉」
何が私をそんなに魅きつけたのか?
当時の私だったらおそらくジンメルがもっている非社会学的な側面とでも応えるしかなかっただろうが、いまならもう少しまともに言葉にすることができるような気がする。
たとえば、ジンメルには有名な『橋と扉』というエッセイがある。
たしかこれを次のような感じで私は読み取っていたような気がする。
生命存在としての人間は、自然や他者と「つながりたい」という欲望をもった存在である。
しかしその「つながりたい」という欲望を成り立たせるためには、実は自分は自然や他者とは「切り離されている」という実存感覚がなければならない。
事物がつながりをもつためには、まずもって隔てられなければならない。
人間は「孤独」を感じるからこそほかの人間と何とか「つながりたい」と考える。
また逆に「つながりたい」と思い期待するからこそ「孤独」を感じざるを得ない存在である……。
『橋と扉』における「橋」とは、人間が〈いま・ここ〉の場所を越えてほかの空間や人びととへつながりたいという欲望を最も素直に表現している〈媒体〉だ。
しかも、そうした人間の心性が橋のデザインや装飾にていねいに表現されたとき、橋はたんなる「実用的な目的」を越えて「美的評価の対象」に昇華される。
一方「扉」はもっと複雑な性格をもつ。人間は「小屋」を建て、そこに扉をつけることによって「内」と「外」の区別をもつ。
しかし扉は内と外の絶対的遮断を意味しない。
それは「壁」ではないのだ。
しかも扉の本質は内から外そして外から内へという双方向の自由な往来である。
内から外への方向性、これこそが扉というものの本質を表現している。
つまり、いったん小屋を作って(つまり壁を作って)内と外を区別し自分の空間を確保した人間が、おそるおそる外的世界へと一歩踏み出すための外界へ開かれる可能性のある境界、これが「扉」なのだ。
感想
タイトルだけだとよくわかりませんが、読み進めていくと、納得できました。
下記の本を参考にしました
『ジンメル・つながりの哲学 』
菅野 仁