とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

知識があると楽しみが増えるか

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


何を楽しめるか

 


「知識がなくて雑な判断しか下せないとしても、それでも食事は楽しめる」と反論するかもしれない。

 


食事にとって大事なのは正確な評価を下すことではなく、その味から喜びや楽しみを得ることであり、そのために知識は不可欠ではないと主張するのである。

 


どうおいしいか理解できていなくても、とにかく食べる喜びや楽しみを感じられればいいということだ。

 


確かに、知識が少なくても得られる楽しみはあるだろう。自分が生まれ育った文化にはな他文化の料理を初めて食べるとき、「これは何なのか」「食べて大丈夫なのか」と思ったが、口に入れてみて「おいしい」と思う場合がある。

 


そのときには、よく知らない食べ物から食べる楽しみが得られているだろう。

 


しかし、知識があった場合はどうだろうか。知識は楽しみに貢献しないのだろうか。この点を検討するために、トマトやチーズやバジルやオリーブオイルが使われた「イタリアンラーメン」という創作ラーメンを食べる場合を考えてみよう。

 


しかもそれは、ラーメンをイタリア風にすることに成功していて、なおかつ味も良かったとする。

 


それを食べた純粋主義者は味に満足し、「おいしい」と評価する。「ラーメンだ」とか「イタリア風だ」という知識をなんとか無視し、純粋に知覚的な情報だけのおいしさを感じるのである。

 


これに対し、「これはラーメンだ」「イタリア風だ」という知識に基づいたカテゴライズができれば、知覚的情報に基づいて「おいしい」と評価するだけでなく、「ラーメンなのにイタリア風になっているのが目新しい」と気づくことができる。

 


イタリアンラーメンがラーメソの標準から外れたものであることを理解し、その意外性に驚きつつも、それでもラーメンになっている工夫に感心できるのだ。

 


こうした意外性や工夫を楽しむためには、「ラーメン屋ではだいたいこんなものが出てくるだろう」と予想できる必要があり、その予想は「ラー

メンとはこんなものだ」という知識に基づいているのだ。

 


単純に言えば、知識があった方が喜びや満足が増えるということだ。逆に、知識を排除する純粋主義では食事の楽しみも少なくなってしまうだろう。

 


感想

 


知識があった方が楽しみが増えると言われることがありますが、その一例がこれだと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『美味しい』とは何か    

 食からひもとく美学入門

 源河 亨

 中公新書

 

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