とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

政治家にとって大事なこと

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル

 


政治家への道

 


自民党野田聖子議員が、議場の壇上で議長に深々と一礼し、小泉内閣が提出した法案に反対する「青票」を職員に手渡した。

 


野党の議席から大きな歓声と拍手が起こった。 ほかにも与党自民党内から次々と造反者が出た。

 


小泉純一郎総理大臣が政治生命をかけて提出した郵政民営化法案が衆議院を通過した、2005年7月5日のことである。

 


しかし、その票差は、野田のような造反議員が続出したため過半数をわずか5票上回っただけであった。

 


野田は「予想以上の大健闘。 欠席でなく、勇気をもって青票を投じてくれた」 と、テレビカメラのライトを浴びながら記者団に興奮気味に語った。

 


野田聖子は、1993年に衆議院に初当選し1998年には当選わずか2回で大臣就任最年少記録を更新して小渕内閣郵政大臣に抜擢され、時の小渕恵三首相から 「将来の女性首相候補」 と持ち上げられた。

 


その後も、将来有望な若手議員がつくとされる衆議院議院運営委員会の議事進行係、自民党政務調査会副会長、筆頭副幹事長を歴任し、着々とそのキャリアを重ねてきた政治家である。

 


福田内閣麻生内閣では、消費者行政推進担当などの特命担当大臣となった。

 


野田はまた、少子化対策児童ポルノ規制、夫婦別姓問題などの政策課題に熱心に取り組んできた政治家としても有名である。

 


郵政民営化に敢然と反対したのも、政策を自ら判断してそれへの態度を決めた結果であった。

 


この政策へのこだわりは、野田が最初の選挙以来持ち続けてきた思いである。 しかし、この年来の主張が、郵政民営化問題をめぐって野田を窮地に追い込むこととなったのである。

 


衆議院では、なんとか郵政民営化法案を可決に持ち込んだ小泉首相であったが、参議院で法案を否決されることになった。

 


しかし、この事態を小泉は、衆議院の解散によって打開しようとした。 郵政民営化に反対をした自民党衆議院議員を公認せずに、別の候補者を公認してそれを「刺客」として選挙区に送り込んだ。

 


野田の選挙区である岐阜1区にも、岐阜には縁もゆかりもないエコノミスト佐藤ゆかり自民党本部の公認を得て送り込まれた。

 


野田は、自民党本部に反旗を翻した自民党岐阜県連の公認のみで戦うことになったのである。

 


選挙戦では、小泉の構造改革の目玉である郵政民営化賛成を正面から掲げた佐藤ゆかりの攻勢の前に、野田は防戦に追い込まれる。

 


選挙公示後の第1声で 「私は一度たりとも改革を止めようと思ったことはない。 よりよい (郵政) 民営化なら、どんどんやるべきだ。」

 


「ただ、拙速に出された法案には、その保証はなかった」と訴え、郵政民営化法案への反対に理解を求めたが、選挙スタイルは国政レベルの政策を訴えるものでなく、野田がこれまで避けてきた地元密着型となっていった。

 


朝日新聞はその様子を次のように伝えた。

 


これまで 「岐阜の仕事はしない」というのが、地元市議らに定着した野田評だった。過去の総選挙でも、まず演説で触れるのは少子化対策や年金などの国政の課題。それが今回は、がらりと内容を変えた。

 


「地元の話をすれば、郵政民営化の問題は印象が薄まる」。 市議らの助言を受け入れたのだ。

 


市北部では産業廃棄物、市北西部ではその地区を通る予定の東海環状道西回りルートの早期完成、そして市中心部では商店街の空洞化対策。

 


地区ごとに喫緊の課題を盛り込んだ。 選挙戦最終日の10日、街頭で「岐阜の野田聖子です」と声を張り上げる野田氏を見て、市議の一人は言った。

 


「言っても聞くタイプじゃなかったんだけどなあ。 苦戦がよほど身にしみたんだろう」(『朝日新聞」2005年9月13日付)

 


感想

 


政治家にとって選挙で当選することは、なによりも大事なことなのだろうと感じました。

 


また、「当選しなければただの人」とはよく言われますがそうなんだろうと改めて思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『はじめて出会う政治学

 構造改革の向こうに

 北山 俊哉 他2名

 有斐閣アルマ

 

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