こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 伝えないコミュニケーション
悪はどういうコミュニケーションなのだろう。
悪という言葉を常識的な意味あいで用いる。
悪は、立場や見方が変われば正義でも善でもありうる。
たとえば、極悪非道な暴力にしか思えない戦争は、立場が違えば「聖なる戦い」であり「愛の表現」でもある。
悪とは相対的なものなのである。
しかしそれでは話がしにくい。
そこで、多くの人が常識的に悪と思っている事柄を例にして、悪というコミュニケーションを考察する。
ふつう、悪は伝えるべきものではない。
むしろ隠すべきものである。
「私は悪いことをしています」と、わざわざ伝える人はいない。
それどころか、自分がしている悪事や自分が悪人であることを懸命に隠そうとするだろう。
悪は秘密にするのが通常である。
悪行は、二人で行なわれた場合は二人の秘密として隠し、単独の場合は自分の心のなかに秘匿する。
いずれの場合も、秘密などないかのように演技する。
その秘匿、隠蔽に失敗したとき、悪は露見し、悪事は破綻する。
一般に、コミュニケーションと聞けば、伝えることを当然のことと考えるだろう。
しかし、悪をコミュニケーションの問題として捉えると、伝えないこと、隠すことも、コミュニケーションの重要な要素として浮上してくる。
もちろん、秘密などないかのように演技することは、伝える行為ではある。
けれども、どのように演技するかは、隠したい情報の内容に規定される。
つまり、その演技は、隠すという目的に仕える行為、伝えないことのほうに重きを置いたコミュニケーションなのである。
ところで、その年の世相を象徴する「今年の漢字」が、1995年から毎年選ばれている。
2007年は「偽」が選ばれた。
この年、食品の産地偽装、賞味期限改ざん、年金記録の偽り、耐震偽装、人材派遣会社の偽装請負、横綱のけがの虚偽疑惑などが発覚した。
まさに「偽」こそ、この年の世相を表現している漢字と言えそうである。
しかし、そうだろうか。
食品の産地偽装や耐震偽装、賞味期限の改ざんは、2007年以前から続けられてきた。
この年に特徴的なのは、内部告発や情報の漏洩による偽装の発覚・露見の増加なのである。
繰り返しになるが、悪は伝えないこと、隠すことによって成り立つ。
偽装という悪は 2007年まではうまく実行できたのである。
しかし、2007年になって、いくつかの悪は破綻した。
内部告発や情報漏洩によって。
だから、2007年は「告」や「漏」の一年だったというべきなのである。
感想
当然といえば当然だが、悪は秘密にするという指摘がおもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ