こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
欲望させるための「観光地化」
これからの社会では、記憶容量の制限が事実上なくなり、とにかくあらゆるものがデジタル化され、無限に近くストックできるようになるはずです。
公的機関も今後はオープン化が進み、議事録から内部資料からなにからなにまで、莫大なデータが公開されるようになるでしょう。
興味さえあれば、だれでもあらゆる情報にアクセスすることができるようになるわけです。
しかし、そうなってくると、こんどはその情報が「本当に見られているのか」が問題になってきます。
ネットの情報は、新聞やテレビと違い自然に配達
されてくるものではありません。目的の情報に辿り着くためには、まず検索ワードを打ち込まなければならない。
その情報が見たい、という欲望がなければならないのです。いくらデータベースを公開しても、公開された情報をだれも欲望しないのでは意味がありません。
あらゆる情報がネット上でストックされるこれからの時代においては、情報の公開の有無ではなく、「検索の欲望」をどう喚起するかこそが重要な問題として浮上してきます。
たとえば現在、東京電力のウェブサイトにアクセスすると、廃炉作業についてのロードマップをダウンロードすることができます。
しかしサイトには大量のPDFが並んでおり、どれが目的のファイルなのかは、かなり熱心に探さな
いとわからない。
むろんそれでも、専門家や運動家はファイルを探し出して内容を精査するはずです。しかしそれは本当の「公開」なのか。普通の市民が関心をもち、アクセスするようになって、はじめて本当の情報公開なのではないか。
これからの情報公開は、単に情報にアクセスできるようにするだけではなく、「アクセスしたいと思わせる」ことも必要だということです。
ぼくが福島第一原発観光地化計画で、「観光」という強い言葉を選んでいるまずは関心をもってもらうためです。
これがもし「原発事故の記憶を残すプロジェクト」だったらどうか。
だれも批判しないでしょうけど、逆に関心も呼ばない。だからこそ非難されるのを承知で「観光」という言葉を使っています。
感想
たしかに「検索の欲望」を喚起させる面はあると思いました。
テレビとは違って「ながら」ではないようです。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
検索ワードを探す旅
東浩紀著