とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

嘘の功罪

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


「虚言 (嘘)」のところもつマイナスとプラスの働き 

 


「虚言(嘘)」が社会関係形成にとってもつ働きから見てみよう。

 


まずマイナス面。

 


現代のような「より豊かでより広範な文化生活」において、「虚言(嘘)」は「生活の基礎」を揺るがす大問題となりうるとジンメルは考える。

 


というのは現代のように複雑化した社会では、一人ひとりの人間が自分の生活を条件づけているさまざまなルールや制度を直接見通すことは全く不可能なことだ。

 


しかし一方、一人の人間が依存しているさまざまな制度やルールは昔に比べてはるかに複雑化し多岐にわたっている。

 


私たちの一日の生活はそうした制度やルール、そしてそれらの担い手たちに対する漠然とした「信頼」にもとづいている。

 


もし朝来るはずのバスが来なかったら、届くはずの郵便物が届かなかったら、店で店員から粗悪な商品をだまして買わされ、しかも法外な値段をつけられたら……。

 


そういう事態があちこちで起きれば、私たちの生活全般はいまとは全く違った緊張と期待はずれが起こったときの態度の取り方が要求されるだろう。

 


「現代生活は、経済的な意味よりはるかに広い意味において「信用経済」なのだ。」

 


だから現代における虚言(嘘)は、生活上の大きなリスクとなる。

 


しかし一方虚言(嘘)にも、積極的な意味がある。

 


まずは社会の秩序形成へ寄与する側面。

 


ジンメルがいうには、「原始状態」では虚言(嘘)がある程度許容されているが、それは次のような事態を意味する。

 


彼がいう原始状態とは、「組織化と等級化と権力の集中化」が生じたばかりの社会のことである。

 


そうした階級分化において権力的地位を獲得するためには二つの契機が考えられる。

 


一つは直接的、身体的な力の強さであり、もう一つは精神的な力である。

 


そしてその精神的な力の行使の有力な方法が、虚言 (嘘)なのだ。

 


直接的な暴力的な力をもたないものでも、人間社

会のごく早い時期から支配的地位を獲得することが可能であり、それは虚言(嘘)によって精神的な優越を作用させてより狡猾でない者を操縦し抑圧することによるわけだ。

 


この場合、虚言(嘘)は、情報の隠蔽や変容を加えたかたちのコミュニケーション能力の高さを意味する。

 


現代においても虚言(嘘)がもつ積極的な社会的機能は失われていない。それは、商品を売ろうとして過度に誇張した宣伝や販売戦略を進めるような場合である。

 


消費社会が成熟するにつれてそうした明らかな誇大宣伝は徐々に少なくなり、商品広告が虚言(嘘)であるという性格は薄れていくとジンメルは考えるが、しかし広告が商品をよりよく、よりすばらしいものとして消費者にアピールすることを目的としていることを考えると、広告が全く虚言(嘘)という性質をゼロにするということはないだろう。

 


このように虚言(嘘)は、社会関係を破壊する危険をもつこともたしかにありうるが、しかし、むしろジンメルは虚言(嘘)が社会関係形成にもっている「積極的な意義」に注目する。

 


しかしその積極的な意義は、むしろ「秘密」という「消極的な形式」(虚言のように積極的に他者に働きかけるのではなく、事実を隠すという消極的なかたち)によってより現実可能性が高まるのだ。

 


つまり社会関係を積極的なかたちで形成していく契機としては、虚言(嘘)はあまりに「攻撃的な技術」すぎるのだ。

 


一方、「秘密」の社会学的機能は、もっと穏やかにかつ本質的に人間関係に影響を与える。

 


いってみれば、「秘密」はコミュニケーションの基本的なあり方を大きく規定する「社会学的形式」なのだ。

 


感想

 


嘘に積極的意義があることに驚きました。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス