こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
記号にならないものがこの世に存在する事実
ネットは記号でできている世界です。
文字だけの話ではありません。音声や映像が扱えるようになっても同じで、結局はネットは人間が作った記号だけでできている。
ネットには、そこにだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。
「表象不可能なもの」はそこには入らない。
けれども、だからといって、ネットは無意味だ、
本当に重要なことは言葉にならないというわけではありません。どうのこうの言いながら、ぼくたちはネットと言葉に依存しなければ生きていけない。
重要なのは、言葉を捨てることではなく、むしろ言葉にならないものを言葉にしようと努力することです。
いつもと違う検索ワードで検索することです。
言葉にならないものを、それでも言葉にしようと苦闘したとき、その言葉は本来の意図とは少し異なる方法で伝わることになります。
哲学的な表現を使えば「誤配」されることになります。そしてその誤配を通して、ぼくたちは、言葉にならないものそのものは知ることができないけど、そんな言葉にならないものがこの世界に存在する、その事実だけは知ることができる。
要は、記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの畏れを忘れるな、ということです。
たとえば、いま日本では在特会(在日特権を許さない市民の会)のヘイトスピーチが話題になっています。
彼らは平気で「韓国人を殺せ」などという。安田浩さんが『ネットと愛国』(講談社)で指摘しているように、在特会はネットで急速に勢力を拡大した政治団体です。
「殺せ」などという言葉かかくも軽く使われる状況は、ネットが記号の世界であることが関係しています。
彼らは本当に、実在の、記号ではない人間に向かって「おまえは死ぬべきだ」と言えるのでしょうか。
検索ワードを探す旅とは、言葉にならないものを言葉にし、検索結果を豊かにする旅のことです。
そしてそのためには、バックパッカーでなくても観光で十分、いやむしろ、世界中が観光地化し始めているいまこそあちこちの「秘境」に出かけるべきだ、とぼくは思うのです。
感想
記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの畏れを忘れるな、という箇所が一番印象的でした。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
検索ワードを探す旅
東浩紀著