こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 死者とのコミュニケーション
死んだ家族員の言葉を思い出して、現在の行動を反省・自責したりさ死者が望んだことを達成しようとすることは、死者が私たちの意識のなかではコミュニケーション可能なものとして存在しているものと考えられる。
死者はもはや語らない。
そうであるがゆえに、生きている他者の言葉とは違って、死者とのコミュニケーションは往時の言葉を反芻して心のなかで語られもするのである。
17歳で死亡した次男が頭は悪いのに妙に正義感が強くておもわず笑うような事もありました。
その子どもができなかった社会への恩返しと思っています。
これらを見ると、生者たる私たちの行動や意識に、死者となった重要な他者との想像上のコミュニケーションが与える影響を含みこんだ人間観・社会観が求められるとも考えられる。
死によって現実のコミュニケーションは途絶するのだが、形を変えて想像上のコミュニケーションへと変化して続いていくともいえるのである。
そのような想像上のコミュニケーションを通じて、その人は生き続けているのである。
死んだひとりの人物が生き続けてゆく唯一の在り
方は、生きている者たちの記憶の中以外にはないのだ。
加えて、コミュニケーションはなにも他者と語らうことばかりではない。
もう一人の自分と語らうこともあるのである。
ケアは心身を通じた相互のかかわりであるがゆえに、それが良かったかどうか、遺された者に痕跡を重く残していく。
すべて終わってしまった後は、後悔で苦しみました。あの時、もっとやさしくしてあげればよかった。
もっともっと美味しいものを好きなだけ食べさせてやればよかったと悲しい、つらい思いでたいへん苦しみました。今でも、両親に申し訳ない気持ちは残って居ります。
そして、その人が死んだだけではなく、時を経て、その人を知るすべての人がこの世から消えたとき、その人とのコミュニケーションは完全に終わるといえるのだろう。
人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。
感想
「死者とのコミュニケーション」という視点は、中々気づき難いと思いました。
死者が語らないとしても、生きていると想定して語りあうというのはなるほどと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ