とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

言葉は頼りない

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


言語の「メタ化」機能がもつ厄介さ

 


ぼくの出発点は、ジャック・デリダという、20世紀フランスの哲学者の研究です。

 


デリダの哲学のキーワードは「脱構築」です。

 


脱構築とは、あらゆるテキストはその解釈の仕方によって、どんな意味でも引き出せるという考え方です。

 


デリダによれば、言葉というのはじつに頼りになりません。

 


言葉を使うと、人間はいくらでも議論を「メタ化」することができます。

 


たとえば、みなさんがある問題にぶちあたり、どのような対応を取るのが「正しい」のか、仲間たちと議論をしていたとします。

 


最初のうちは議論は具体的なのですが、行き詰まってくると、だんだん議論が抽象化していきます。

 


そうすると、最初の問題設定はどこかにいってしまって、どういう対応が正しいのか議論する以前に、この場合そもそも「正しい」とはなにかを考えてみようとか、いやいやそもそも自分たちが正しいかどうかを決められるのか、そのことについても考えようとか、どんどん議論がズレていってしまいがちです。

 


議論が「メタ化」し、なにがなんだかわからなくなるわけです。

 


人間は高い記号処理能力をもっています。だから解釈に解釈を重ねて、すべてをメタ解釈の争いにもっていくことができます。

 


「おまえのやっていることは正義ではない」という非難に対して、「そもそも正義とはなにか」「正義は定義できるのか」「そもそもおまえは告発する権利をもっているのか」 ・・・・・・ といくらでもメタレベルで答えを返すことができます。 ネットの「炎上」 でよく見る光景ですね。

 


感想

 


たしかに、言葉は頼りないものかもしれないと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『弱いつながり』 

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東浩紀

幻冬舎文庫

 

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