こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
「個人」と「国民」が乖離して共存する
ぼくがはじめて海外に出たのは(記憶にない幼少時を除くとすると)、1991年、友人と二人で行った韓国旅行です。
韓国を選んだのは、距離や費用が手頃だったということもありますが、第二次世界大戦の史跡に関心があったことも影響しています。
韓国は民主化が1987年年で、ソウルオリンピックが翌1988年です。
当時の韓国はまだ経済成長の途上にあって、いまほど裕福ではありませんでした。
街並みは日本に似ていましたが、全体的に古びていて、あちこちに反日的な碑が建っていました。
伊藤博文を暗殺した安重根の記念館も訪問しました。彼は日本から見ればテロリスト以外の何者でもありませんが、韓国では国民的英雄とされています。
いまでこそネットで常識ですが、1991年の当時韓国の「反日教育」は日本ではまったく話題になっていなかったので、大きなショックを受けました。
しかし、なによりもぼくがショックを受けたのは、東京からわずか2、3時間の距離の場所に、まったく歴史観が異なる同世代が生きていて、そしてそのことに自分がまったく無知であったことに対してでした。
学生2人連れだったので、旅行中にはいろいろ知り合いもできて、そのうち数人とは文通が続いたりもしました。
そういうふうに付き合うとただの高校生や大学生なのに、いきなり徴兵制の話が出てきたりして、同じところ、違うところがモザイクのように絡んでいることに強い印象を受けました。
「個人としてわかりあえること」と「国民としてわかりあえないこと」が乖離しつつ共存している感覚は、のちのぼくの仕事に決定的な影響を与えていると思います。
感想
なによりもぼくがショックを受けたのは、東京からわずか2、3時間の距離の場所に、まったく歴史観が異なる同世代が生きていて、そしてそのことに自分がまったく無知であったことに対してでした。
という箇所が印象に残りました。
誰しもこういう経験はあると思います。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
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東浩紀著