こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 関係維持のためのコミュニケーション
多様性が賞揚されるこの時代に、自己と他者のあいだの安定した関係を担保してくれる共通の目標を見つけることは難しい。
しかし同時に、この時代を生きる自己は、普遍的な基準に合わせることで安定感を得ようとするのではなく、具体的な他者から承認を受けることでそれを保とうとする。
そのため、他者とつながることに対してつねに強迫観念を抱き、他者への依存度が増している。
したがって、コミュニケーション回路に載せられるべき切実な課題はすでになくなっているにもかかわらず、その回路だけは切実に死守していかなければならない。
かつて、児童生徒たちを画一的な檻のなかへ囲い込もうとする学校文化の抑圧力が非常に強かった時代には、児童生徒たちの側も、それに対抗しようとして自らの副次文化を形成していた。
いわゆるワルの少年たちが独自に育んでいた非行サブカルチャーはその典型であるが、このような副次文化を共有することで、彼らは互いの強いつながりを保持していた。
共通の敵に対抗して自分たちの立場を守るために、コミュニケートされなければならない切実な課題があったために、自然と団結力も強まり、相互につながることそれ自体が関心の中心に据えられることはなかった。
ところが、今日の若者たちは、もはや共通の目的を見失っている。
非行グループに限らない。
今日はサブカルチャー不在の時代といわれるように、一般の若者のグループからも共通の文化が失われている。
多様化が進んだ結果、各自の関心対象も分散化したからである。
そのため、集団のなかで安定した絆の役割を果たすものが存在しづらくなっている。
背骨を欠いた軟体動物は、その軟弱な身体を外部から守るために、しばしば固い外殻をもつが、昨今の若者グループも同様であって、その関係の基盤の脆弱さを隠蔽するために、外部の世界に対して固く殻を閉ざす傾向にある。
このとき、いじめという振る舞いは、互いがつながりあうために格好のフックとなる。
関係を保つために必要な共同行為の場を他に見つけることができないので、やむなく関係それ自体をいじりあうことで、相互の関係を活性化し、維持しようとするのである。
感想
共通の敵が現代ではなく、昔はあったように書かれていますが、イメージしにくいと思いました。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ