こんにちは。冨樫純です。
「自己という認識の危うさ」についてのコラムを紹介します。
おもしろい実験だと思いました。
自分でした行為と他者が行った行為を混同してしまうことがあり、自己の主体感は絶対的なものではないという。
私たちは普段「自分」の存在を疑うことはない。
自分の身体は明らかに自分であると感じられ、たとえば、いま私はこの文章を書くために動かしている手は確かに自分の手だと感じることができる。
しかし、このコラムでみていくように、私たちはつねに正しく自分自身を感じられるわけではない。
あくまでも私たちが感じている自分とは、そのときに私たちが作り上げたものであり、自分という認識は確実、あるいは絶対的なものではなく、本当は自分ではないものを自分と感じたり、その逆のことも生じる。
社会心理学の中で、この問題を実証的に扱ったのはウェグナーである。
彼は私たちが自分でした行為と他者が行った行為を混同してしまう場合があることを示し、私たちが感じている自己の主体感は絶対的なものではないと論じた
(Wegner, 2002; Wegner et al., 2004)。
たとえば、2人羽織のように、自分の背後に他者がいて、その他者の手が自分の上着の袖からでていて、その手があたかも自分の手のように見えるとき、私たちはその手が自分自身の手であるか
のように感じることがある。
ウェグナーらが行った実験では、2人組になって、前の人物の手の位置に後ろの人物の手を出し、正面の鏡でそれを見るようにし、ヘッドフォンから聞こえてくる動作指示にその手(自分の手のように見えている後ろの人物の手)が従って動くことを観察すると、前の人物は、後ろの人物の手をあたかも自分の手のように感じるようになる。
たとえば、その手に対して衝撃(腕にはめた輪ゴムを伸ばしてはじく)を与えたとき、前の人物において、あたかも自分の手でゴムがはじかれたような生理的反応が生じた。
この知見は、私たちが自分で動きをコントロールしているように感じられる対象を自分と認識することを示唆するもので、拡張された自己の可能性を示している。
また、近年では、VR(Virtual Reality;仮想現実)技術を用いて、幽体離脱のような感覚を生じさせる実験も行われている。
ヘッドマウントディスプレイをつけた実験参加者に、自身を背後から撮影しているリアルタイムの
3D映像を示し、参加者の身体の一部を触り、それが映像でも確認できるようにすると、自分の前方に映し出されている自分の身体(実際にはその背中が見えている)が、自分自身であるかのように感じることが報告されている
(Slater et al., 2010。ただし、すべての人にそのような感覚が生起するわけではないようである)。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名