こんにちは。冨樫純です。
「目に見えないことを知る」についてのコラムを紹介します。
たしかに、我々は見えることだけでなく、見えないことも推測することがあると、改めて思いました。
誰かにあげる贈り物を選ぶのは、楽しくもあり悩ましくもある作業である。
どんなものをあげたら喜んでくれるのだろうかと、あれこれと考えることになる。
年配の方にお世話になったお礼として贈り物をするとき、(あなたが若者だったら)たとえ自分の好物であっても、ステーキ肉を送ろうとは思わないだろう。
その代わり、年配の人の好みのイメージに沿って、産地直送の魚の天日干しを選ぶかもしれない。
一方、恋人への誕生日プレゼントだとしたら、これまでの経験から、何を喜ぶかあれこれと考えるだろう。
たとえば「私はバラの花が好き」というようにわかりやすく好みを明言される場合もあるだろうが、明言されなくても恋人の好みはある程度わかると思っているだろう。
私たちは他者についてそういった直接目には見えない特徴(内的な属性とよぶ)をわかっていると思っていることも多くあるが、どのようにして直接見えないそれらを知るのだろうか。
さらに後日、恋人の誕生日にプレゼントを渡したとき、恋人が本当に喜んでくれているかとても気になるだろう。
このとき、「うれしい」「ありがとう」という発言をそのまま額面どおりに受け取るだけでなく、私たちは、恋人が本当にどの程度喜んでくれているのか推論するだろう。
では、こういった推論はどのように行われるのだろうか。そして、正しく行われるのだろうか。
下記の本を参考にしました
『社会心理学』
池田 謙一 他2名