とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

客観的に評価するとは

こんにちは。冨樫純です。

 


「客観的に評価するとは」についてのコラムを紹介します。

 


情報を客観的に評価することの難しさを感じました。

 


確かに、人は自分の都合の良い情報を客観的証拠で補足することもあると思いました。

 


私たちは自分のものの見方は自分のおかれた立場や信念などによって歪んではおらず、客観的にものごとをみていると考えがちである。

 


もちろん、客観的にみることができる場合もあるが、そうすることは実際には困難なようである。

 


もし、私たちがお互いに自分の信念にとらわれず、情報を客観的に評価できるのであれば、十分に情報がある場合、信念や立場にかかわらず、その情報から導かれる答えは同じになると考えられる。

 


しかし、研究の結果はそうならないことを示している。

 


ロードらは、死刑制度に賛成、あるいは反対の意見をもつ実験参加者に死刑の抑止効果についてのレポートを呈示し、そのレポートを評価させた(Lord et al, 1979)。

 


すると、賛成派も反対派も自分たちの意見に合致するデータを示すレポートを高く評価し、合致しないデータを示すレポートについては、データの集め方に問題があるなどとしてそのデータの信憑性を低く評価した。

 


そして最後にあらためて死刑制度に対する意見を尋ねると、レポートを読む前よりも意見は極端に(賛成の人はより賛成に、反対の人はより反対に)なっていた。

 


この研究結果は、さまざまな立場の人に同一の情報が提供されるマスメディアの効果を考えるときに重要になると考えられる。

 


私たちは、客観的なデータがあれば、異なる意見の人々を説得することが可能であると考えがちである。

 


しかし、ロードらの研究結果は、実際にはそのよ

うに単純ではなく、客観的なデータであっても、もともとの意見が正しいことを示す方向に解釈されてしまうため、客観的なデータの呈示が逆に意見の対立を深める可能性もあることを示している。

 


さらに私たちは、自分の推論が動機によって影響を受けているかどうかを自分の主観的感覚に頼って判断するために、その影響を自覚することができない。

 


したがって、自分の推論は動機によって歪んでいないと思いやすい。

 


その一方で、他者の推論が動機の影響を受けているかどうかは、その結論から判断するため、自分と異なる意見の人の推論が動機に影響されたものだと判断しがちになる。

 


このような、同一データから自分と異なる結論を導く他者の推論は客観的でなく、自分に有利なように偏った見方をしていると考える傾向は、既存の対立関係をエスカレートさせてしまう可能性も考えられる。

 


下記の本を参考にしました


社会心理学』 

 池田 謙一 他2名

 有斐閣