とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

日本は特殊な国?

こんにちは。冨樫純です。

 

「日本特殊性論」についてのコラムを紹介します。

 

「日本特殊性論」が唱え始めた背景をもう少し掘り下げたいと思いました。

 

ムネオは、「非西洋文明国の中で唯一先進国の仲間入りをしたことからも明らかなように、日本は、独特の文化をもった特殊な社会である」と高校の担任の先生に言われて以来、大学に入ってもずっとそれを信じてきた。

 

ムネオの先生だけでなく同様の議論をする人は、日本の知識人の中にも多い。

 

この種の議論は「日本特殊性論」と呼ばれる。

 

政治学でも、このような日本特殊性論は結構はばをきかせている。

 

ムネオは、政治学の講義を聞くたびに、ますます「日本には日本独自のデモクラシーが必要だ」という思いを強くしてしまう。

 

今日の講義では、テレビに出てくる有名なエコノミストが、ガラバゴス·デモクラシーと日本の政治のことを呼んでいる(金子,2001)と、聞いた。

 

南海の孤島であるガラパゴス島ではほかには見られないような種類の動物が生息するということになぞらえて、日本のデモクラシーは孤島で外界との交流なしに発達した独特のものだという。

 

その講義を聴いてムネオは、日本は独特だから日本的デモクラシーでうまくいくと思った。

 

ところが、隣に座っていたキョミは、日本がガラパゴス·デモクラシーだから日本の政治はよくないと解釈している。

 

「日本は特殊な国なので、真の意味でのデモクラシーは根づかない」 とキヨミは言い、ガラパゴス·デモクラシー論のエコノミストも日本政治のあり方に批判的だとキヨミは解説した。

 

さらにキヨミが、 日本の政治文化を根本的に変えて、西欧デモクラシーが根づくようにする草の根運動をすると言い始めたのを聞いて、ムネオは仰天してしまった。

 

そんなことをすれば日本の美しい独自の文化は消滅してしまうではないか、とムネオは思ったからである。

 

さて、ムネオとキヨミは、正反対のようであるが、よく二人の意見を聞いてみると、二人には共通点がある。

 

それは、二人とも日本の文化は独特で特殊なものであると信じており、だからこそ西欧で誕生したデモクラシーはそのままでは日本の文化的土壌ではうまく機能しないはずだ、と考えているところである。

 

「デモクラシーはそれに適合的な政治文化を持つ社会で成功する、という文化決定論的な考え方は、70年代に政治学の世界で広く主張された政治文化論に見られた。

 

はたして二人の考えは、どの程度根拠のあるものなのだろうか。

 

近年、多くの政治学者は、デモクラシーがある一定の政治文化をもった社会のみで可能であるとい
う考え方を批判するようになった。

 

また、日本の政治や経済が他の国と比較できない特殊なものである、とする論者も減少してきている。


下記の本を参考にしました

 

政治学』補訂版
 (NewLiberalArtsSelection)
 久米 郁男 他2名
 有斐閣