とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

トクヴィルの思想

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル トクヴィル

 


コンスタンの問題意識を継承したのが、 アレクシ・ド・トクヴィルである。

 


トクヴィルは「多数者の暴政 」や「民主的専制」といった言葉を用いたが、これは君主ではなく、多数者やデモクラシーと結び付けたものである。

 


民主的社会においてもなお、個人の自由が抑圧されることがある。

 


自由にとっての危険性をトクヴィルは指摘したのである。

 


フランス貴族の家に生まれたトクヴィルは、ジャクソン大統領時代のアメリカを訪問し、 帰国後に『アメリカのデモクラシー』 を執筆した。

 


アメリカでアメリカ以上のものを発見した」というトクヴィルが見つけたのは、デモクラシーであった。

 


ここでトクヴィルは、古代ギリシア以来の政体の一分類である「、デモクラシー (民主政)」という言葉を用いている。

 


それまで、デモクラシーとは多数者が支配する政体であり、しばしば衆愚政治と同一視され、否定的な意味で用いられることがほとんどであった。

 


これに対してトクヴィルは、デモクラシーこそが神の摂理であり、人類の未来であるという。

 


この場合、トクヴィルがいうデモクラシーとは、単なる政体分類の一つではなく、平等な諸個人から成る状態のことを指す。

 


身分制秩序が支配するアリストクラシー(貴族政)の社会は、必然的にデモクラシーの社会へと移行していくとトクヴィルは論じた。

 


このように、トクヴィルがいうデモクラシーとは政体分類にとどまらず、社会状態であり、 時代区分でもある。

 


このような意味でのデモクラシーを、トクヴィルは自らの政治学の中核に据えた。

 


共和政よりはむしろ、平等を強く含意するデモクラシーという言葉を選んだのである。

 


感想

 


デモクラシーとは多数者が支配する政体であり、しばしば衆愚政治と同一視され、否定的な意味で用いられることがほとんどであった。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


多数決である限り、衆愚政治になりやすいということだと思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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