とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ポリス世界の衰退

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


ポリス世界の黄昏

 


古代ギリシアの地に開花したデモクラシーであるが、その全盛期は長く続かなかった。

 


ペルシャ戦争でこそポリス連合軍は団結して戦ったが、間もなく主導的立場にあったアテナイとスパルタの対立が激化し、ペロポネソス戦争が起きたのである。

 


このようなポリス間の内紛が続く間に台頭してきたのが、北方のマケドニアであった。

 


結局、紀元前338年のカイロネイアの戦いによって、諸ポリスはマケドニアの軍門に下った。それは連合して大勢力になるよりも、最後まで自分たちのポリスの独立とそこでの政治参加を優先した結果でもあった。

 


濃密なポリスの政治共同体は、大帝国の前に敗北したのである。とはいえ、ギリシア人の東方への移住が進んだ結果、古代ギリシア文化はオリエントの広い世界に拡大し、各地の文化と融合することになった。いわゆるヘレニズム文化である。

 


このことはポリスにとって、政治的な危機にとどまらず、思想的な危機を意味した。

 


古代ギリシアのデモクラシーの前提は、あくまでポリス空間であった。ところが、そのポリスの独立と自由が失われた結果、市民はその活動の舞台を失ったのである。

 


ポリスとはおよそ異質な大帝国の空間の中で、人々はあらためて人間の生きる意味を問い直すことになる。

 


哲学は、非政治的な空間へと向かったのである。

 


一例をあげればキュニコス学派がいる。 古代ギリシア語の「犬」から名称が生まれたこの学派であるが、その指導者シノペのディオゲネスは、社会の慣習的な価値よりも、動物の自然なふるまいを讃えたという。

 


彼にとってポリスやその法は拘束以外の何ものでもなかった。政治参加に自由を見るよりも、いかに政治の世界から個人の自由を守るかが大切だったのである。

 


この学派から「シニカル」という言葉も生まれたが、彼らは文明の批判者であった。

 


第二は、エピクロス学派である。 人間にとって真に自然なのは肉体的快楽ではなく精神的快楽であるとしたエピクロスは、苦痛のない魂の平静 (アタラクシア)を追求した。

 


何事にもとらわれずに生きるためには、自らの欲望をコントロールし、神や人間についての思索を深めるべきである。

 


単に抽象的に政治制度を拒絶するばかりでなく、自らの内面を陶治するための外的条件を考察し、新たな非政治的価値を示そうとしたのが、この学派である。

 


第三は、ストア派である。 その祖ゼノンは、すべての人間は自然の法によって支配される普遍的な世界(コスモポリス)の一員であると主張した。

 


ポリスの政治への参加を阻まれた結果、それをより高度な次元で回復しようとしたといえる。

 


自らの情念を抑制し (アパティア)、世界の摂理に従うことを説いたこの学派からは「ストイック」という言葉が生まれた。

 


また、奴隷も含めた人間の平等と自然法の主張は後世に大きな影響を残した。

 


感想

 


人間にとって真に自然なのは肉体的快楽ではなく精神的快楽である、苦痛のない魂の平静 (アタラクシア)を追求したという箇所がおもしろいと思いました。

 


精神的に穏やかに過ごすことは、現代でも大事な価値観だと改めて感じました。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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