こんにちは。冨樫純です。
「アメリカの大学でのすぐれたレポート」についてのコラムを紹介します。
アメリカの大学は、入学するのは比較的簡単で、卒業するのは難しいと言われますが、その理由の一つが、このようなレポートにあるのではないかと思いました。
アメリカでは、日本以上に「自分で考える力」の育成が重視されているといわれる。
そのことは、アメリカの大学でのレポートの書きかた、その評価のしかたにも反映している。
アメリカで学生に課される論文やレポートの場合、与えられた文献の内容を要領よくまとめただけでは、よい成績はもらえない。
自分の「思い」を綴った「感想文」でもだめである。
もちろん、教科書の丸写しではまったく評価されない。
それでは、どんなレポートが高く評価されるのか。
それは、レポートの中に、どれだけ「考えた形跡」があるかによるといえる。
アメリカの大学で「よい」といわれるレポートを書くためには、読んだ文献をもとに、その内容を要約するにとどまらず、そこから得た知識を使って、自分の考えを論理的に展開することが重要だ。
そして、必要であれば、その議論をサポートするような証拠を自分で探し出して提示することが求められる。
とくに、自分なりに問題を立て、それを解くスタイルは重要である。
問題の立てかたの独創性と、それを解明するときの論理展開の精密さ·織密さ、さらには、論理の根拠をきちんと示しているかどうかが重視されるのである。
日本の大学でも小論文や学期末レポートなどを課題とすることがある。
しかし、どのような内容のレポートの評価が高いのかは、アメリカほど明確に教えてくれるわけではない。
ということは、大学教師の間でも、それほど明確に評価基準が共有されているわけではないということである。
下記の本を参考にしました