こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
仕事で求められるのは適切な検索力
2012年12月にソクーロフ監督の『ソルジェニーツィンとの対話』といドキュメンタリー映画の上映があり、アフタートークにゲストとして招かれ
ました。
ぼくが批評家としてデビューした最初の作品は「ソルジェニーツィン試論」というもので、ソ連の反体制作家を主題とした文章でした。
大学ではロシア語も勉強していました。
そんな縁で登壇することになり、ロシア演劇研究者、上田洋子氏と面識を得ました。 イベント後にチェルノブイリに取材に行きたいのだがと相談してみたところ、リサーチや通訳を請けおってくれるという。
さっそく会議にお呼びしました。
それが目から鱗の体験で、というのも、それまで、うちのスタッフもチェルノブイリについてかなりいろいろと調べていたのですね。
しかし、日本語と英語だけでは「チェルノブイリへの観光客数の推移」といった基礎的情報ですら
手に入らない。
ところが会議で上田さんに尋ねてみると、目のまえですぐ検索をかけて、「ロシア語のウィキペディアに載ってます」と言うわけです。
なんと、ウィキペディアです。それがぼくたちには見えていなかった。一事が万事、その調子で、小一時間ほどの会議で、それまでの2ヶ月でスタッフが集めた情報の何倍もの情報が手に入ってしまいました。
検索はそもそも、情報を探す側が適切な検索ワードを入力しなくては機能しません。そしてそこに限界がある。
そのことをあらためて思い知らされた体験でした。
自動翻訳を使えばいい、と思うかもしれません。たしかに、いまでは自動翻訳はかなり精度が高くなっています。だから、いちど適切なロシア語のページに辿り着きさえすれば、それをグーグル翻訳で読むことはできる。
しかし問題は、そもそもどうやってそのページに辿り着くかなのです。そのためにはカタカナの「チェルノブイリ」でもアルファベットの「Chernobyl」 でもなく、キリル文字で「YepHOóblub」と検索窓に入力する必要がある。
自動翻訳に頼って検索することはむずかしい。チェルノブイリならば、まだ固有名だから可能かもしれない。
しかしそもそも、検索ワードの選択はかなり微妙なものです。日本語でも、ちょっとしたニュアンスの違いで、この単語ならヒットするけど、別の同義語だとヒットしないということがあります。
それに、たとえ検索ワードの変換がうまくいったとしても、今度は結果一覧からどのページを選ぶかという問題がある。
言語の壁は、受動的に「読む」ことについては低くなりつつあるのかもしれない。
しかし、能動的に「探す」ことに関してはまだまだ高いのです。
そして同時に思ったのは、いまや必要な情報はかなりオープンに、ネット上にあるということ。
チェルノブイリ取材について、「こういうコースは組めないか」「この人物について詳しく知りたい」など、たいていの質問についてはネットに答えが転がっている。
ら、別にコーディネーターなど頼まなくても直接に連絡が取れる。
このような特殊な取材旅行は、かつてであれば、専門的な知識や経験をもっているひとに仲介を頼む必要があったはずです。
しかしいまは適切な検索こそが重要になっている。上田さんは原子力の専門家でもウクライナの専門家でもない。それでも、検索できれば十分なのです。
言い換えれば、いまは、特殊な経験や知識よりも、顧客の要望に応じていかに適切に検索するか、その能力こそがビジネスにおいて重要になっているということです。
だからこそ、たえず新しい検索ワードを手に入れる必要がある。
感想
たしかに、検索力は大事かもしれないと思いました。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
検索ワードを探す旅
東浩紀著