こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
軽薄で無責任な「観光客としての生き方」
観光というのは、評判が悪い言葉です。ぼくの福島第一原発観光地化計画も、そのせいでしばしば誤解されます。
しかし、観光はそんなに悪いものでしょうか。観光はたしかに軽薄です。
行けなくなります。そしてみんな忘れてしまいます。それよりは、たとえ「軽薄」で「無責任」でも、観光客に事故跡地を見てもらって、少しでも事故について考えてもらったほうがいいのではないか。それがぼくの考えです。
日本人は「村人」が好きです。一ヶ所にとどまって、ずっとがんばっている。ひとが大好きです。
けれどもぼくは「旅人」でいたい。いや、むしろ「観光客」でいたいと思います。
ずっと旅人でいるというのもたいへんです。それはそれで覚悟が要ります。
バックパッカーになってインドを放浪するのは、若くないとできません。言い換えれば、それはサステナブルな生き方ではないのです。
だからぼくは、旅人と村人のあいだを行き来するのが、いちばん自然だと考えます。
観光とは、まさにその往復を意味する言葉です。
世のなかの人生論は、たいてい二つに分けられます。ひとつの場所にとどまって、いまある人間関係を大切にして、コミュニティを深めて成功しろというタイプのものと、ひとつの場所にとどまらず、どんどん環境を切り換えて、広い世界を見て成功しろというタイプのもの。
村人タイプと旅人タイプです。
でも本当はその二つとも同じように狭い生き方なのです。
だから勧めたいのは、第三の観光客タイプの生き方です。
村人であることを忘れずに、自分の世界を拡げるノイズとして旅を利用すること。
旅に過剰な期待をせず(自分探しはしない!)、自分の検索ワードを拡げる経験として、クールに付き合うこと。
25年後の観光客が、福島に来て、それで福島第一原発観光地化計画は成功です。
いまではいちども検索しなかった「原子力」 や 「放射能」を検索してくれれば、検索とは一種の旅です。
検索結果一覧を見るぼくたちの視線は、観光客の視線に似ていないでしょうか。
感想
村人タイプと旅人タイプという分類がおもしろいと思いました。
ぼく自身は旅行が好きではないので、村人タイプに属すると思います。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
検索ワードを探す旅
東浩紀著