こんにちは。冨樫純です。
「ニーチェの哲学と健康と病気」についてのコラムを紹介します。
強いイメージのあるニーチェが病気に苦しんでいたことに驚きました。それが創作のモチベーションになっていたのかなとも思いました。
フリードリヒ ニーチェは、ドイツ(当時はプロイセン王国)のライブツィヒに近い郊外で、裕福な牧師の長男として誕生しました。
彼について書かれた書物は、わが国にも多数あります。
その中で清水真木の「ニーチェ入門」(ちくま学芸文庫、2018年刊)は、最も新しい文献の一つかもしれません。
彼は卒業論文、修士論文、博士論文とニーチェ一筋に奮闘を続けてきた哲学者です。
その過程で、ニーチェの哲学を思想と学説の両面から研究することに加え、彼の実録や伝説などの周辺的な情報も精査して、ニーチェの像を彫り続けてきました。
そして、ニーチェの思想の中枢部分に健康と病気があると確しました。
人間の肉体的あるいは精神的な健康と病気とはどういうことか。そのような視点に立って、「超人」や「永劫回帰」の思想を考えてみると、ニーチェの哲学にもう一歩、踏み込めるような気がする…誤解を恐れずに言えば、清水はそのように直観したのです。
ニーチェは、人生で一番収穫があるべき時期を、病気と闘い続けて人生を終えた哲学者だったのです。
1870年4月、ニーチェは、スイスのバーゼル大学の正教授になります。そこで同年8月に勃発した、プロイセンフランス戦争(普仏戦争)に看護兵として従軍しますが、赤痢とジフテリアに感染し
て倒れます。一時は快復しますが、このとき以降、彼の健康状態は悪化、ついに大学勤務に耐えられず、1879年に退職しました。
1880年の春、彼は生命の危機を乗り越えました。それからの彼は、大学から支給される年金だけを頼りに、自分の哲学を完成させることに、人生のすべてを集中させていきます。
そのために、知的な活動に障害が起きることのないように、規則正しい生活を築いていきました。
彼は7月から9月はスイスで、9月から4月は北イタリアや南フランスの地中海沿岸で、定期的に質素な保養生活を繰り返しました。
そのような生活サイクルの中で、「ツァラトゥストラはこう言った」(氷上英魔訳、岩波文庫、全2冊)も、自叙伝でもある「この人を見よ」(手塚富雄訳、岩波文庫)も完成できたのです。
彼の規則正しい「漂泊者」の生活は、1888年まで続きました。1889年1月トリノで発狂、入院。
1900年8月ヴァイマールで死去、清水はニーチェの発狂について、次のように著述していますニーチェは、語るべきことをすべて語り尽くした上で発狂しました。
発狂したとき、ニーチェには、新たに語るべきことはもはや残ってはいませんでした。
下記の本を参考にしました
『哲学と宗教全史』
出口 治明著