とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

態度表明としての評価

こんにちは。冨樫純です。

 


哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


態度表明としての評価

 


主観主義は、評価は性質帰属ではないと主張する。

 


では、主観主義では評価は一体どういうものだと考えられるのだろうか。

 


一つの考えは、評価と態度表明を同一視するというものだ。つまり、「このルートビアはおいしい」は「私はこのルートビアが好き」と同じ意味だと考えるのである。

 


同様に、「このルートビアはまずい」は「私はこのルートビアが嫌い」の言い換えだということになる。

 


何が好きで何が嫌いかは個人的な趣味嗜好であり、そのため、正しいも間違いもない。

 


また、他人からとやかく言われる筋合いもない。

 


「私はルートビアが嫌いだから飲みたくない」

と言ったときに、他の人が「ルートビアが飲めないなんて間違っている」と言ってきたら、「嫌いだからしょうがない」と思うだけだ。

 


間違っているなら正す必要があるが、ルートビア嫌いを正す必要はない。むしろ、好き嫌いを無理やり変えさせようとする人なんて横暴だと思われるだろう。

 


同じことは食以外にも当てはまる。「この曲はカッコいい」は「私はこの曲が好き」と同じであり、「あの服装はダサい」は「私はあの服装は嫌い」と同じだということである。

 


主観主義によれば、評価は性質帰属ではなく個人の態度表明にすぎないのである。

 


こうした主観主義では、評価を下すための「センス」は、「好み」や「好き嫌い」と言われるものと同一視されることになる。

 


対象が肯定的に評価されるか否定的に評価されるかはセンスによって決まるが、そのセンスは主観的な好き嫌いだということだ。

 


このように評価と好みの表明を同一視しても、評価が行動を促すという点は認めることができる。

 


肯定的な評価はその対象との関わりを増やす行動を促し、否定的な評価はその評価対象との関わりを減らす行動を促す。

 


ここで言われる「肯定的に評価される対象」を「自分が好きな対象」に言い換え、 「否定的に評価される対象」を「自分が嫌いな対象」と言い換えても、同じような説明ができるだろう。

 


好きなものとは関わりを増やしたく、嫌いなものとは減らしたいということだ。

 


感想

 


知らず知らずのうちに、評価と態度表明を同一視していると思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『美味しい』とは何か    

 食からひもとく美学入門

 源河 亨

 中公新書

 

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