こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
好みは人それぞれ
センスの客観性を考える際には、対象は同じでも人によって評価が異なる点が問題となる。
まえがきでも少し触れたが、ここではルートビアを例にしてより詳しく説明しよう。
ルートビアはさまざまなハーブが使われたアメリカ発祥の炭酸飲料で、ドクターペッパーのクセをより強くしたような味がする。
アメリカでは大人気であり、アメリカ文化の影響が大きい沖縄でも好んで飲まれている。
しかし、それを初めて飲んだ人はだいたい「湿布のような味がしてまずい」と言う(「飲むサロンパス」と言われたりする)。
おいしいかどうかの評価が明確に分かれているのだ。
こうした評価の相違は実際にあるものだが、次の点を考えると突然、哲学への入り口が開けてくる。それは、「ルートビアがおいしいと言う人とまずいと言う人、どちらの意見が正しいのか」というものだ。
この問題に対してすぐ思いつく答えは、「評価の違いは、どちらかが正しくてどちらかが間違っていると判定できるタイプの違いではない」というものだろう。
みんながおいしいと思う食べ物が嫌いな人もいるし、みんなが嫌いな食べ物を好む人もいる。
どう感じるべきか正解はなく、人それぞれ違っていていいのだ。言い換えると、「おいしい」や「まずい」といった評価は、他人に正しさを認めてもらうような客観的な判断ではなく、主観的な感想だということである。
評価が違う他人から「訂正しろ」と言われるようなものではないのだ。
この点と関連して、美学では「趣味については議論できない (De gustibus non est
disputandum)」というラテン語の格言がよく取り上げられる。
ぴったり合う日本のことわざは「蓼食う虫も好き好き」だ。
蓼はすごく苦い植物だが、わざわざそれを食べる虫もいる。
何をおいしいと感じるかは人それぞれ、個人の趣味嗜好の問題であり、他人から「おいしく感じるべきだ」「おいしいと感じるのはおかしい」と言われる筋合いはないということである。
同じことは食事以外の場面にもある。自分はこの絵画は美しい/この曲はカッコいい/この映画が素晴らしいと思っていても、他人はそれに同意しないかもしれない。
他人が「実際にはその絵は美しくない」「君はセンスがないな」とか言われても、「ほっといてく
れ」と思える。
自分はその絵が美しいと思うのだから、本当は美しくないと言われる筋合いなんてないと思われるのだ。
感想
センスに客観性はないかもしれないと思いました。
下記の本を參考にしました
『美味しい』とは何か
食からひもとく美学入門
源河 亨