こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
観光地ではうつむいてスマホで検索すべし。
しかし、ここで決定的に重要なのは、ネットには接続すべきですが、日本の人間関係は切断すべきということです。
よく、旅先での写真をフェイスブックやツイッターにどしどし上げているひとがいます。
気持ちはわかりますが、あれでは旅の意味がない。旅先で新しい経験をすることよりも、日本にいる友だちに向けて情報発信することのほうが
大事になってしまっている。
旅で肝心なのは、日常とは異なる環境に自分の身を置き、ふだんの自分では思いもつかないことをやってしまうこと。
フェイスブックやツイッターの視線を気にしているのでは、日常と変わりません。
ぼくは旅行中はほとんどツイッターをしません。また、メッセージの通知機能も切るようにしています。
いまはスマホはカメラ代わりで時計代わりなので、旅行中も定期的に画面を見ます。
そのたびに「○○さんからメッセージがあります」と通知が出ていると、これは台無しですよね。
iPhoneなら「設定」で告知機能を限定しておくとよいです。音もなし、バイブも出ないようにしておく。
アイコンの横に数字が出たら、それだけで旅は台無しです。
日本人はとにかく人間関係を重視しすぎです。
これがネット時代になってますます加速している。
日本人の関係重視はむかしから変わりませんが、昭和の時代はそれでもひとはバラバラでした。
いくら仲がいい同級生でも、いちど高校や大学を離れてしまったら、関係を維持するのがとてもむずかしかった。
そしてそんな切断には効用もあった。人生の節目節目で、人間関係を刷新することができた。
ところがいまやネットのせいでそうはいかない。小学校や中学校の同級生がいつまでもいつまでもフェイスブックやLINEのリストにあり続ける、というのがいまの現実でしょう。
となると、あるていど意図的に関係を切る必要が出てきます。
ぼくたちはいま、ネットのおかげで、断ち切ったはずのものにいつまでも付きまとわれるようになっている。
強い絆をどんどん強くするネットは、ぼくたちをそのなかに閉じ込める機能も果たす。
旅はその絆を切断するチャンスです。
旅先ではメールが溜まります。留守番電話も溜まる。しかし、少しぐらい連絡が取れなくても、たいていは問題が起きないはずです。
15年ぐらいまえまでは、外国ではネット接続もままならず、海外旅行に出たら一週間は連絡が取れないというのがふつうだった。
それでも世のなかは回っていた。裏返せば、週間連絡が取れない場合でもまわりが困らないように、いろいろと手を回す知恵があり配慮があった。
そういうきもちを取り戻す必要があります。
即レスがつねに誠実さの証なわけではないのです。
ネットには接続するけれど、人間関係は切断する。グーグルには接続するけれど、ソーシャルネットワークサービスは切断する。
それは、ネットを、強い絆をさらに強める場ではなく、弱い絆がランダムに発生する場に生まれ変わらせるということでもあります。
友人に囚われるな。
人間関係を必要以上に大切にするな。
なんかとんでもない結論に見えますが、ソーシャルネット時代にひとが自由であるためには、これは大切な心得だと思います。
感想
旅先で新しい経験をすることよりも、日本にいる友だちに向けて情報発信することのほうが大事になってしまっている。
という箇所がおもしろいと思いました。
たしかにそういう側面はあると思います。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
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東浩紀著