こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ネットでは見たいものしか見ることができない
日本では、戦後の高度成長期が終わって昭和が終わって冷戦が終 って、うこれ以上新しいことはなにも起きない、みたいな気分が支配的です。
「終わりなき日常」と言われる感覚ですね。
3・11の震災が起きても、その気分は強固に残っている
「この世界はどこもかしこも同じで、新しいことなんかない」
「海外に行くんだったら、アニメのDVDを買って家で見たほうがいい」みたいな感じ。
個人の趣味に口を出すつもりはありませんが、さすがにまずいと思うのは日本が最高だと思ってるひとが多いこと。
若い世代の論客も、いまの自分たちの生活を肯定するために言葉を連ねていて、そういうひとが人気がある。
しかし、年金は近い将来破綻するし、産業は崩壊しているし、震災も起き、政治はまったく機能していない。
それでも本当にいい国なのか。ましてや「最高」か。
ネットは、そういった自己肯定を強化してくれるメディアです。
ツイッターに代表されるソーシャルネットワークは、基本的に無料だからお金のない若者がいっぱい集まって来る。
有名人はそんな「お金のない若者」の人気を取らなければならない。結果、ある種の情報は隠すようになっている。彼らは「牛丼食いました」「コンビニ行きました」とは書くけど、「どこどこのホテルに泊まった」とはほとんど書かない。
いまネットで人気を集めるためには、自分も同
じ庶民ですとアピールしなければならないことをよく知っている。
だからネットに出てくる情報は、「ぼくもみなと同じくらい貧しいよ、みなと同じくらい忙しいよ」というものばかり。
でもそれはフィクションなんです。
ツイッターには大金持ちの経営者がいっぱいいる。彼らのアカウントをフォローすると、彼らに近づけたような気がする。でもそれは幻想です。
彼らのつぶやきをいくら追っていても、彼らがどれだけの資産をもってて、どんな車に乗ってて、どんな生活をしてるのか、じつはまったく伝わってこない。
本当にリアルな情報はツイッターには書かれていない。
ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。
そしてまた、みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かないからです。
バックパッカーはバックパッカーが見るインドについてしか報告しないし、
金持ちは金持ちが見せたい自分のすがたしかつぶやかない。
感想
見たくないけど重要なことは何で得れぱ良いのかという疑問は残りました。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
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東浩紀著