こんにちは。冨樫純です。
哲学や倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
旅は「自分」ではなく「検索ワード」を変える
ぼくらはいま、ネットで世界中の情報が検索できる、世界中と繋がっていると思っています。
台湾についても、インドについても、検索すればなんでもわかると思っています。
しかし実際には、身体がどういう環境にあるかで、 検索する言葉は変わる。
欲望の状態で検索する言葉は変わり、見えてくる世界が変わる。
裏返して言えば、いくら情報が溢れていても、適切な欲望がないとどうしようもない。
いまの日本の若い世代―いや、日本人全体を見て思うのは、新しい情報への欲望が希薄になっているということです。
ヤフーニュースを見て、ツイッターのトピックスを見て、みんな横並びで同じことばかり調べ続けている。
最近は「ネットサーフィン」という言葉もすっかり聞かれなくなりました。サイトから別のサイトへ、というランダムな動きもなくなってきていますね。
ぼくが休暇で海外に行くことが多いのは、日本語に囲まれている生活から脱出しないと精神的に休まらないからです。
頭がリセットされない。日本国内にいるかぎり、九州に行っても北海道に行っても、一歩コンビニに入れば並んでる商品はみな同じ。
書店に入っても、並んでる本はみな同じ。その環境が息苦しい。
国境を越えると、言語も変わるし、商品名や看板を含めて自分を取り巻く記号の環境全体ががらりと変わる。
だから海外に行くと、同じようにネットをやっていても見るサイトが変わってくる。
最初の一日、二日は日本の習慣でツイッターや朝日新聞のサイトを見ていても、だんだんそういうもの全体がどうでもよくなっていく。
そして日本では決して見ないようなサイトを訪れるように大きな意味がある。
感想
たしかに、欲望によって見る情報は違うと改めて思いました。
下記の本を參考にしました
『弱いつながり』
検索ワードを探す旅
東浩紀著