とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

アノミー的自殺とは

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。

 


感想も書きたいと思います。

 


話題 豊かな社会のアノミー的自殺

 


この「アノミー」という概念は、フランス社会学の祖デュルケームの「自殺論」のなかで提唱されました。

 


彼は「自殺論』のなかで、自殺を「集団本位的自殺」や「自己本位的自殺」「宿命的自殺」「アノ

ミー的自殺」の4つの類型にわけています。

 


このうち「アノミー的自殺」とは、「人々の活動が無規制的になり、それによって彼らが苦悩を負わされているところから生じる自殺」です。

 


その背景にあるのは、社会の無規制状態のもと欲望が昂進し、未来の幻想のみに囚われ、思いのままにならない現在の自分に焦燥感をもつ状態です。

 


すなわち、デュルケームの表現を借りると、かぎりなき欲望というものは、そもそもその意味からして、充たされるはずのないものであり、この飽くことを知らないということは、病的性質の一徴候とみなすことができるからである。

 


限界を画するものがない以上、欲望はつねに、そして無際限に、みずからの按配しうる手段をこえてしまう。

 


こうなると、なにものもその欲望を和らげてはくれまい。やみがたい渇きは、つねにあらたにおそってくる責め苦である。

 


このタイプの自殺は、社会の規範の解体によって欲望が無制限に肥大化し、欲望が充足できない状態が常態化することによって生じる苦悩や焦燥に起因するものです。

 


ここでデュルケームが念頭に置いているのは、好況期の商工業者の自殺です。1870年にイタリア統一の基礎ができて、商工業が発展した時期に自殺率が増加しています。

 


同じく1870年に普仏戦争プロイセンが勝利し、フランスから得た賠償金で商工業が発展しましたが、このときも自殺率が上昇しています。

 


こうして急激な経済発展期に、その恩恵をもっとも受けた商工業者は、肥大化した欲望を規制する規範や、さらにはそれを充足する手段を欠いたまま経済的欲望を昂進させたために、常に欲望が満たされぬ焦燥に囚われてしまうのです。

 


デュルケームは、これが「アノミー的自殺」の背

景にある、とみたのです。

 


感想

 


日本で言えば、バブル経済の時、自殺が多くなるというイメージかと思いました。

 


そう考えると、日本のバブル時代には当てはまらない気がします。

 


下記の本を参考にしました

 


『ライフイベントの社会学

   片瀬 一男著

 世界思想社