とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

適応的選好の形成とは

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


適応的選好の形成

 


もう一つ、より現実的で深刻な問題として、「適応的選好の形成」という話題を取り上げよう。

 


アマルティア・センという経済学者がいる。生まれはインドだが、イギリスで教育を受けているエリートの学者だ。

 


ちなみに彼は幸福なことにノーベル経済学賞を存命中に受賞している。

 


その彼が挙げている例で、非常に貧困な家庭に生まれてまともな教育も受けずに育ってきたインド人の女性の話がある。

 


そういう女性に「あなたにとって幸福とは何ですか」と尋ねると、おそらく「衣食住が満たされれば幸せだ」と答えるだろう。

 


続けて「女性の参政権や、女性の教育や就労の機会の保障は幸福につながると思いますか」と聞くと、おそらく教育を受けていない彼女は、参政権が何なのかも知らず、教育や仕事がどうして自分の幸福に役立つのかが理解できないだろう。

 


さてこの場合、本人は欲していないからと言って、教育の機会や参政権を与えなくてもよいのだろうか。

 


また、「女性は男性に尽くすのが当たり前」と教えられている男女不平等の社会を考えてみよう。

 


そのような社会で育ちそれに適応した選好を持つ女性は、男性に尽くすことによって幸福感を得ることになるだろう。

 


ここには上のインド人女性の話と同様の構造があ

る。男性に都合のよい選好を抱くように育てられてきた女性は、そのような社会に問題を感じておらず、たとえ問題点を説明されても何が問題なのか理解できない可能性がある。

 


そして、男性に尽くしたいという選好が叶い、幸福感を得られているのなら、何も問題ないではないかと言うかもしれない。

 


だがはたして、そのような社会に住み、自らの望みが叶えられた女性は、本当に幸福なのだろうか。

 


このように、非常に制限された環境や構造的な差別が存在する環境に育ってきた人は、その環境に適応した選好を形成してしまい、幸福になるために通常は必要だと思われる選好を持たなくなる可能性がある。

 


これを適応的選好の形成と言う。

 


選好が充足されたかどうかだけで幸福を計ることが問題なのは、この適応的選好形成があるためである。

 


適応的選好形成は人間だけでなく、動物にもあるだろう。生まれたときから動物園にいライオンは、サバンナでシマウマを追いかけることを夢見て不満に思ったりはしない。

 


そんなことは知りもしないから、そもそも欲求のしようがないのだ。 しかし、仮に身の回りの世話をしてもらえて、大きなストレスを抱えることなく一生を過ごしたとしても、動物園のライオンは幸福だったと言えるだろうか。

 


幸福とは選好が充足されることだ、という立場をとるならば、功利主義の目的は、人々の持つ選好を最大限に満たすことだと言い換えられるだろう。

 


その場合、上のインド人女性のような「高望みしない人々」をたくさん作って、彼らの限定された選好を満たせば功利主義の目的はよく達成されることになる。

 


しかし、それで万事解決されたと思う人は少ないだろう。

 


もっとも、適応的選好の形成は悪いことばかりではない。仏教の教えに「吾唯知足」(われただ足るを知る=今あるもので満足する)という言葉があるように、叶えられない選好をいつまでも抱いて不満に思っているよりは、その選好を放棄して、現実の環境に適応した選好を持つ方が幸福につながるときもある。

 


イソップ寓話に出てくる狐は、高いところになっているブドウの房がとれないことを悟ると、あのブドウは酸っぱいに違いないと言って、その場を去ってしまった。

 


これを負け惜しみと見ることもできるが、手に入らないものはさっさとあきらめて別のことに取り組む潔い態度と理解することもできるだろう。

 


幸福になるためには捨ててしかるべき選好も

ある、というのは一つの洞察であろう。

 


以上から、幸福とは現に持っている選好を充足させることだという幸福観は単純すぎることを理解してもらえたかと思う。

 


感想

 


「適応的選好の形成」とは、我々が当たり前に感じている「環境によって幸福は異なる」ということだと思いました。

 


また、理論として確立されていたことに驚きました。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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