とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

J・S・ミルの思想

こんにちは。冨樫純です。

 


倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


J・S・ミル

 


1806年に生まれたミルは、チャドウィックと同時代人であり、やはりベンサムの弟子の一人だった。

 


ミルの生涯もゴドウィンに劣らず波乱に満ちていておもしろい。

 


だが、父親による超英才教育だとか「精神の危機」だとか人妻ハリエット・テイラーとの恋愛だとかについて話し出すと大幅な脱線になるため、ここでは省略して先に進もう。

 


ミルはチャドウィックの公衆衛生活動を高く評価していたが、少なくとも次の二つの点でチャドウィックとは対照的な考えを持っていた。

 


第一にミルは、中央集権や官僚制が人々の精神に影響を及ぼすことを強く批判していた。

 


すなわち、中央政府が個人や地方政府に代わって箸の上げ下げまで指示するようになると、自主独立の気風が失われ、結果的に人々の個性の開花や社会の発展が停滞してしまうとミルは考えたのだ。

 


彼は官僚制が発達したロシアがその典型だとして、英国もこのようになる可能性があると警鐘を鳴らしている。

 


それゆえ、「能率と矛盾しないかぎりでの権力の

最大限の分散、しかし可能な最大限の情報の集中化とそれの中央からの拡散」が、あるべき中央と地方の関係だと考えていた。

 


第二にミルは、個人の利益は当人自身が一番よく配慮することができると考えていた。

 


そのため、公衆衛生活動も、パターナリズムではなく、他者への危害の防止という根拠に基づいて行なうべきだと考えていた。

 


ミルの他者危害原則については、彼の文章を引用して確認しておこう。

 


彼は『自由論』で次のように述べた。

 


文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使し得る唯一の目的は、他人に対する危害の防止である。

 


彼自身の物質的あるいは道徳的な善は、十分な理由にはならない。

 


そうする方が彼のためによいだろうとか、彼をもっと幸せにするだろうとか、他の人々の意見によれば、そうすることが賢明であり正しくさえあるからといって、彼になんらかの行動や抑制を強制することは、正当ではあり得ない。

 


つまり、子どもや野蛮人ならいざ知らず、大の大人をつかまえて、彼にある行為を強制したり、禁止し禁止したりすることができるのは、その行為が他人に危害を加える場合に限られるというのだ。

 


ミルは公衆衛生についてまとまった論文や著書を書いてはいないが、公衆衛生活動が個人の生活に立ち入ることのできる限界についても、同様に明確な線を引いている。

 


彼は次のように述べる。「公衆衛生に関する法の本来の目的は、人々が自らの健康に留意するように強要することではなく、人々が他者の健康に危害を加えるのを防止することである。

 


もし彼らが自分の健康のためだけに行なうべきことを法によって命じるならば、当然、 大半の人々はそれを圧政そのものと見なすであろう」。

 


つまり、公衆衛生活動の目的は、当人の健康のためではなく、他人に危害を与えないためだというのだ。

 


ミルは具体例として、酔っぱらいの扱いについて考察している。ミルによれば、かつて酔っぱらって他人に危害を加えたことがある人に対しては、酔っぱらうことに関して規制を加えたり、処罰したりすることが正当化される。

 


また、酒場では犯罪行為が起きやすいため、公共の秩序を守るための酒類の販売のライセンス化も正当化される。

 


ところが、「これ以上のいかなる制限も、原則として、私は正当だとは思わない」とミルは述べる。

 


たとえば、ビールやアルコール類を売る店への出入りをもっと困難にして、誘惑の機会を減らすという目的のために、これらの店の数を制限するようなことは認められない。

 


なぜなら、「それは、労働者階級がはっきりと子供か野蛮人として取り扱われ、将来自由の特権を認められるにふさわしいものとするために、束縛の教育を受けているような社会の状態にのみふさわしいもの」だからだ。

 


つまり、立派な大人を「彼ら自身のために強制する」ことは認められないと言うのだ。

 


このように、ミルの公衆衛生活動は、個人の自由と地方自治の双方を十分に尊重したものになる。

 


これは、上述した功利主義のもう一つの側面である、自由主義的志向を反映したものだと言える。

 


以上、公衆衛生というテーマに関して、功利主義者の間でもチャドウィックのように権威主義的な立場と、ミルのように自由主義的な立場に分かれることを見てきた。

 


今日では、権威主義パターナリズムが不人気であることもあり、チャドウィック流の権威主義的なものではなく、ミルのように自由主義を基礎付けるものとして功利主義を理解する立場の方が現代では主流となっている。

 


感想

 


酒場では犯罪行為が起きやすいため、公共の秩序を守るための酒類の販売のライセンス化も正当化される、という箇所がおもしろいと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


功利主義入門』

 児玉聡

 ちくま新書

 

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