とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「シャブ中」を守れ

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


「シャブ中」を守れ

 


覚醒剤中毒について議論する際に、「双方の話を聞け」という先人の言葉を思い出すのはよいことである。

 


なぜならば、もしも大多数の人がなにかに反対しているなら、彼らの批判とは逆に、そこに好ましいなんらかの要素があるにちがいないからだ。

 


人類の長い歴史において、多数派の意見はたいていの場合、間違っていた。

 


あなたが多数派に同意していたら、その意見に反対する者を喜んで迎え入れるべきである。

 


ジョン・スチュワート・ミル(イギリスの思想家・功利主義者)は、真理に到達するもっともよい方法は異なる意見を持つ者の話を聞くことであるとして、次のように語った。

 


「あなたの立場を疑いにさらし、その疑問にこたえよ」

 


この方法はミルにとって非常に重要で、そのため彼は、「もしもあなたの意見を批判する者が存在しないのなら、あなた自身が批判的な立場をとり、できるかぎり説得力のあるかたちでそれを示しなさい」とまで述べている。

 


覚醒剤を絶対的な悪だと信じる人こそ、「一発キメたっていいじゃないか」という議論に真剣に耳を傾けるべきなのだ。

 


「シャブ中」という現象を、その本質から検討してみよう。

 


そのためには、覚醒剤が引き起こす社会的な問題―中毒者がシャブを手に入れるために犯罪に手を染める、というようなことは除外して考えなくてはならない。

 


なぜならこうした悲劇は、国家が覚醒剤の販売を法によって禁止することから引き起こされているからだ 。

 


覚醒剤中毒における外部的な問題を検討の対象から外すならば、中毒の本質とは、利用者に対する覚醒剤の影響そのものにほかならない。

 


シャブの悪影響のトップに挙げられるのは、中毒者の寿命を短くするという批判だろう。

 


中毒者の年齢や健康状態、専門家の立場によっても異なるが、麻薬常習者の寿命は一般の人に比べて10年から40年短くなると言われている。

 


これはほんとうに不幸なことであるが、だからといって覚醒剤の使用を法で禁止すべきだという根拠にはならない。

 


ある人がどのような人生を選ぼうが、その人の勝手である。

 


楽しいことをいっぱいして太く短く生きたい人もいれば、いろんなことを我慢しても細く長く生きたいと考える人もいるだろう。

 


生き方の選択にはどれが正しいという客観的な基準はないのだから、不合理だとか、あやしげだ

とかいう理由で他人の人生を非難することはできない。

 


ある人は、酒、タバコ、ギャンブル、セックス、旅行、道を横断すること、議論に熱くなること、激しい運動などをあきらめても長生きしたいと考えるかもしれない。

 


別の人は、たとえ寿命が短くなってもこれらのうちのいくつか、あるいはすべてを楽しもうと決めるかもしれない。

 


薬物中毒を非難する別の有力な議論は、それ人々の責任能力を失わせるというものである。

 


よく言われるように、覚醒剤中毒の父親は、家族に対する経済的・社会的責任を果たすことがで

きない。

 


ここまではわたしも同意するが、だからといって覚醒剤の使用や販売を禁止すべきだということにはやはりならない。

 


なんらかのかたちで責任能力を喪失させる恐れのあるものをすべて禁止するのなら、飲酒はもとより、パチンコ・パチスロ・競馬・競艇・競輪の類もすべて法で禁止しなければならない。

 


死んでしまえば責任の果たしようもないから、車の運転、飛行機での移動、登山やスキューバダイ

ピングなど、潜在的な危険を有する行動もすべて禁止するべきだろう。

 


だが、これは明らかに馬鹿げている。

 


覚醒剤は自分一人の楽しみとして使用を許可し、家族に迷惑をかける恐れがある場合には禁止すべきだろうか。

 


そんなことはない。

 


結婚をすれば、夫は妻に(妻は夫に)責任を負うことになるが、だからといって危険をともなう行為を断念することに同意したわけではない。

 


結婚は奴隷契約ではなく、相手が不安に思うことをする自由を妨げるものでもない。

 


テニスによる心臓発作を心配した妻が、「夫がテニスに行くのを法で禁じてほしい」と言い出したら、あなたはなんとこたえるだろうか。

 


感想

 


人類の長い歴史において、多数派の意見はたいていの場合、間違っていた、という箇所がおもしろかったです。

 


多数決で決着することを疑うべきかもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

flier(フライヤー)