こんにちは。冨樫純です。
倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
チャドウィック
チャドウィックはちょうど1800年に生まれた。
ロンドンで弁護士になる勉強をしていたところ、1820年代の終わりごろに晩年のバンサムの知遇を得ることになる。
ベンサムはチャドウィックを1831年に秘書として雇い、1820年代から書き始めていた『憲法典』の編纂に当たらせた。
ベンサム以前の公衆衛生行政は、もっぱら全国で15000以上ある教区(自治体)ごとにバラバラに行なわれていた。
医学史家のローゼンは「国家レベルでの保健問題を担当する中央行政機関はなく、また組織的な保健計画を基礎づける政策にもこれといったものがなかった」と述べている。
ベンサムは市民の幸福を最大限に実現する政府を作るために、「憲法典」で「保健省」の創設を提案し、中央集権による効率的な公衆衛生のビジョ
ンを提示した。
ベンサムは1832年に84歳で亡くなるが、その後、哲学的急進派と呼ばれる多くの弟子たちが彼の思想を実践していくことになる。
そのなかで、チャドウィックはベンサムの公衆衛生に関する思想を行政官として実現しようとした人だったと言える。
彼は議会によって設立された委員会において、労働階級の健康状態について綿密な実態調査を行ない、その現状を世に広く知らせるとともに、ベンサムの思想に基づく形で改革の方向性を示し
た。
チャドウィックの業績として特によく知られているのが『大英帝国における労働人口集団の衛生状態』(1842年)という報告書だ。
本報告書では、労働者の劣悪な住環境や労働環境が、高い疾病率や死亡率につながっており、これが大きな経済的損失を生み出すとともに道徳的退廃を引き起こしていることが論じられている。
また、現行の教区任せの公衆衛生行政ではなく中央集権に基づく標準化された制度へと改革する必要性が説かれている。
チャドウィックは、統計的な数字を示すだけでなく具体例を交えた読み物として書く技術を心得ていたため、この報告書は政府の報告書としては異例の売れ行きを見せたという。
労働者の生活についての記述も、 主に本報告書によるものだ。
『大英帝国における労働人口集団の衛生状態』の勧告に基づき、1848年に英国初の公衆衛生法が作られた。 チャドウィックやサウスウッド=スミスらのベンタム主義者は、公衆衛生法に基づき政府に設置された保健総局の中心メンバーとなり、大都市の衛生改善の指導、運営等を行なうとともに、地方の保健局を設立し、衛生改善の助言や指導を行なった。
チャドウィックは、科学的知識を持った専門家による統治、中央による地方政府の統制環境が人の健康に影響を与えるという衛生思想の三つの原則が重要だと考え、これらの原則に基づいて公衆衛生行政を行なおうとした。
実は、チャドウィックやその同僚たちは、コレラやチフスなどの病気は、細菌によって人から人へと伝染するのではなく、腐敗した動植物から出る瘴気(ミアズマ)を吸うことによって感染する、という誤った医学的見解を抱いていた。
これは医学史においてはよく知られていることだが、コッホによってコレラや結核などの原因が細菌であることがわかるのは19世紀後半、つまりチャドウィックらが活躍した半世紀も後だから、これは仕方のないことであった。
しかし、労働者の健康状態の改善には、労働者の生活環境を改善する必要があるというチャドウィックの衛生思想そのものは大筋で正しかったと言える。
コレラの原因が瘴気であろうが細菌であろうが、
住居や職場の衛生状態を改善し、通りの糞尿を清掃すれば、感染は防げるはずなのだ。
またチャドウィックは、公衆衛生活動で重要なのは医学ではなく工学だと考えていた点でも特徴的であった。
たとえば彼は、医学的知識よりも上下水道のシステム設計の知識が公衆衛生にとって重要だとして、次のように述べた。
「給水と下水工事の改良による排水や街路と家屋の清掃でもっとも重要な予防法、とくに一切の有害な汚物を町から除去する安価で効率的な方法は、医師ではなく土木工学者の科学的助言によらねばならない。
医師の任務は、適切な行政措置が行なわれていない結果生じた疾病を検診し、犠牲者の医療に
当たればよいのである」。
チャドウィックは、公衆衛生上の問題は工学的手法あるいは都市設計によって解決し、医師は病気になった人の治療に専念すればよい、という基本的発想を持っていた。
このように公衆衛生法ができ、チャドウィックやその同僚たちは先進的な思想を持っていたものの、彼らの公衆衛生行政は実際にはうまく行かなかった。
労働者の健康状態の改善や疾病予防を目的とした中央政府から地方当局への介入は、権威主義的だとして批判されたばかりでなく、住居や工場への政府の介入は私有財産や個人の自由に対する不当な介入だと批判されたのだ。
自分の正しさを信じて疑わないチャドウィックは、こうした批判をものともせず、一切の妥協を排し、その結果あらゆる方面で敵を作った。
そのため、公衆衛生行政に対する批判は、主にチャドウィックへの個人攻撃の形を取った。
当時の「エコノミスト』では、チャドウィックは次のように批判された。
「彼は本質的に専制君主で、官僚なのだ。彼は人
民はよく管理されるべきだと思っているが、彼らが自ら統治する可能性を持っていることを信じない。彼は、彼ら自身のために強制するのだ」。
要するに、労働者の健康と幸福のためを思ってなされたはずのチャドウィックの活動は、当の労働者たちから余計なお世話だとして非難されたのだ。
感想
チャドウィックの、公衆衛生上の問題は工学的手法あるいは都市設計によって解決し、医師は病気になった人の治療に専念すればよい、という基本的発想は、個人的には説得力のある考え方に思えます。
しかし、当時はそうではなかったことに驚きました。
下記の本を參考にしました
『功利主義入門』
児玉聡