とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

男女平等は進んでいるか

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


多様な家族のあり方に向けて

 


今の日本社会では、戦後家族モデル、つまり 〈家族の稼ぎ手としての男性〉と〈主婦・母親としての女性〉という人生モデルから逸脱することが、私たちにさまざまな不利益を与える。

 


その結果、家族において強固なジェンダーが、維持されている。

 


しかし、戦後家族モデルが押しつける固定的なジェンダーは、男女双方に、戦後家族モデル特有の問題を抱えさせることになっている。

 


たとえば男性が退職や解雇によって「仕事男」でなくなれば、 家族の「粗大ゴミ」やホームレス(家庭なし)になってしまう。

 


家族が愛にもとづくのなら、夫が稼げなくなったからといってゴミ呼ばわりされたり家庭を失ったりする必然性はないのだがホームレスの9割以上は男性で、その6割はかつて正規雇用者や会社役員・経営者だった。

 


だから、ホームレス問題は「仕事男」である男性問題である(厚生労働省『ホームレスの実態に関する全国調査報告書』2003年)。

 


かといって、働きすぎれば過労死の危険が待っている。

 


karoshi (過労死)は、戦後日本の働き蜂として死んでいった「仕事男」たちの死に様をさして世界で有名になった言葉だ。

 


さらに近年のように安定した雇用が困難な経済状況では、男性たちは「仕事男」になる期待に応えられないため、結婚から縁遠くならざるをえない。

 


そして重要な点は、男性たちにかけられたこの重く単一な役割期待によって、彼らは、家事労働や育児を楽しむ人間らしい家族生活や、親の介護をとおして人の老いや死に真向かう貴重な機会を奪われているということである。

 


女性たちも、戦後家族モデルによってさまざまな問題に悩まなければならない。

 


働き続けたい女性たちは、「家事+育児女」になるように職場で差別を受け、考えた末に結婚退職や出産退職を選択する。

 


ところが、昨日まで大人たちの社会で生活していた女性が、しきりに泣きわめき 「バーブしかいえない乳児だけを相手に毎日24時間1人で過ごしていれば、うつうつとストレスがたまって当然だ。

 


閉ざされた母子関係のなかで毎日を過ごす生活は、母親が子ども好きであろうとなかろうと、彼女の大人としての社会生活を奪っている。

 


まして子どもが未熟児であったりなどして育児が大変な場合には、責任は母親一人に重く重くのしかかってしまい、悲劇を生みかねない。

 


かといって再就職も、退職前には容易に思えていても現実には低収入悪条件のパートにならざるをえず、不況時には即座に解雇対象となる。

 


結婚してフルタイムで働き続ける場合には、賃労働が「仕事男」をモデルにしているために、「家事 + 仕事 + 育児女」の多忙さが「仕事男」を上回ることになる。

 


賃労働することも、結婚して家族生活を送ることも、子どもを産み育てることも、本当はすべて男女が同様にもっている権利のはずだ。

 


しかし、戦後家族モデルは、賃労働も育児も、どうしてこれほどまでに困難にするのだろうか。

 


「国連女性の10年」最終年にあたる1985年には、政府が戦後家族モデルの専業主婦の家事労働を金銭的に評価しようとして公的年金制度の第三号被保険者、87年には配偶者特別控除(2004年度から廃止)を創設した。

 


これらは専業あるいは低収入のパート主婦である女性たちを評価し、独身で賃労働し続ける女性たち(「家事+育児女」にならない女たち)は、男女差別的な賃金が支払われるうえに、独身男性とともに他人の妻(専業もしくはパート主婦)たちの年金の一部を負担しなければならない仕組みになっている。

 


だから、当時も、また第三号被保険者制度が廃止されない2004年の公的年金制度改革においても、前提とされているのは異性愛と強固なジェンダーにもとづく戦後家族モデルであるといえる。

 


モデル自体が問い直されているわけではないし、私たちが一個人として社会的に評価されているわけでもないのだ。

 


感想

 


男女平等と言われながら、言葉だけが先行している印象を受けます。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジェンダーで学ぶ社会学』  

 伊藤公雄 牟田和恵編著

 世界思想社

 

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