こんにちは。冨樫純です。
倫理学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
功利性の原理とそれに対立する二つの原理
わたしは何を行為の指針として生きるべきか。
J美はそう思って『序説』を読み進めた。
すると、「功利性の原理」という「正・不正の基準」が出てきた。 功利性の原理(功利原理)とは何か。
人がなすべきこと、正しい行為とは、社会全体の幸福を増やす行為のことであり、反対になすべきでない、不正な行為とは、社会全体の幸福を減らす行為のことだと書いてある。
そして、幸福とは快楽に他ならず、不幸とは快楽がない状態か苦痛のことだとある。
これまたその通りだとJ美は思う。私たちは社会の中で生きているのだから、自分のことだけでなく、同じ社会に生きている人たちのことも考えないといけない。
幸せな人もいてれば、そうでない人もいる。 道徳も政治も、その目指すところは人々の幸福の増大であり、不幸の削減であるべきだ。
少し前にいた総理大臣も「最小不幸社会」を唱えていた。倫理的に生きるとは、自分の力のあたう限りで、人々を幸福にすることだろう。
功利主義はしごく当然のことを言っているとJ美は思う。なぜベンサムは改めてこんなことを書かないといけなかったのだろう。
そう思って読み進めると、「禁欲主義の原理」と「共感・反感の原理」という他の原理が出てきた。
これらはベンサムが批判した考え方だ。
禁欲主義の原理とは、功利原理とは逆さまで「苦痛は善、快楽は悪」 とするものだ。
ベンサムによれば、古代のストア派のような哲学者や、一部の宗教家が主張していたそうだ。
苦痛が良いなんてバカげている、とJ美は思う。
もちろん、受験勉強のように目標を達成するために辛いことを我慢しないといけない場合もある。
だけど、苦しいのを我慢するのは、苦しさそのものが良いからではなくて、苦しみの結果として得られるものが良いからだ。
虫歯を治しに歯医者に行くのだって、そうだ。
次にベンサムは「共感・反感の原理」について書いている。これは、正しい行為とは、自分が気に入った行為のことであり、不正な行為とは、自分が気に入らない行為のことである、という考え方だ。
ベンサムによると、彼以前のほとんどの哲学者がこういう考えをしており、彼らは自分の考えをもっともらしく見せるために、「自然の法」とか「良心」とか「永遠不変の真理」とかいう言葉を持ち出したそうだ。
しかし、こういう考え方を持ち出しても議論のしようがなく、結局のところ多数派が少数派に、権力者が社会的弱者に自分たちの考えをむりやり押しつけることになってしまうだろう、とベンサムは批判している。
感想
功利性の原理に反対する人がいるのだろうかと思いました。
理想的な考え方だと思います。
下記の本を參考にしました
『功利主義入門』
児玉聡