とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

国債に頼らない政府の財源

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


国債に頼らない政府の財源

 


何らかの国家の必要性を認めるリバタリアンは、その財源をどこに求めるべきだと考えているのだろうか?

 


国債発行は政府支出をいつまでも増大させてしまう麻薬だからそれはぜひ避けなければならない。

 


一部のリバタリアンは、政府の仕事が必要ならば財源は自発的な醸金でまかなえばよいと考えるが、それだけで十分とは思えない。

 


大部分の人々はそれほど強い公共精神を持っていないだろう。

 


すると財源の確保のために最低限の課税は必要だということになる。

 


税制は、リバタリアンの見解によれば、軽くて単純明快で公平でなければならない。

 


なぜ軽くなければならないかというと、いかなる課税もそれ自体としては財産権への侵害だから、最小限にとどめるべきだからである。

 


そしてリバタリアンな国家は現在の大部分の国家よりも果たすべき機能が小さいから、課税は軽くてすむはずである。

 


次に税制が単純明快であるべき理由は、さまざまな控除の制度があったり、素人にわかりにくいものだったりすると、利権と恣意的権力の温床になってしまうからである。

 


最後に税制の公平さは、リバタリアンが重視する法の下の平等・中立性の一つの表れであるこれらの要請をもっともよく満たすのは、何の例外も控除もない、一定率の所得税か消費税である。

 


所得税の税率は、累進課税では、所得の少ない者のために所得が多い者を搾取することになり、不公正である。

 


税金が市場制度の使用料のようなものだと考えれば、その額は市場で得られた所得に比例しているのが公正だろう。

 


なお消費税は貯蓄(言いかえれば投資)には課税されないから、所得税に比べると貯蓄を奨励するという機能がある。

 


しかしその他の点では、定率の所得税と同様の結果をもたらすはずである。

 


私見または左翼リバタリアニズムの立場をとり、相続を認めない、あるいは大幅に制限するとすれば、「相続税」と呼ぶか「没収」と呼ぶか名称はともかくとして、死者の遺産は政府の財源になる。

 


そうなれば、その他の税金の必要性ははるかに小さくなるだろう。左翼リバタリアニズムだと、生前の贈与まで高額の贈与税の対象になるだろう

から、一層小さくなる。

 


それ以外の税は、そもそも政府が関与すべきでない、何らかの政策的目的を税金の形で実現しようとするものだから、認めることは難しい。

 


特定された公共サービスの受益者負担のためには、税金よりも使用料の形の方が適当だろう。

 


そこで結局リバタリアンな政府が財源として依拠すべき税金は、定率の所得税あるいは消費税、そして考え方によっては相続税、さらには贈与税、ということになる。

 


法人税は、法人から利益を受け取る個々人への課税との二重取りになるから、純理論的には正当化できない。

 


それが正当化できるのは、個人が法人という法的制度を利用することによって、自然人としてでは得られないような特権を享受できる場合に限られるだろう。

 

 

 

感想

 


税制は、リバタリアンの見解によれば、軽くて単純明快で公平でなければならない。

 


なぜ軽くなければならないかというと、いかなる課税もそれ自体としては財産権への侵害だから、最小限にとどめるべきだからである。

 


という箇所が特におもしろいと思いました。

 


たしかに、財産権の侵害という見方はあると思うからです。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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