こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
参政権を持つのは誰か?
最近日本で議論されている、外国人の参政権というテーマにも触れておこう。
これまで私は日本国憲法の用語法に従って、参政権を持つ人々、主権者を「国民」と呼んできた。
しかしリバタリアニズムの立場からすれば、ある国の国籍を持っているとなぜその国の参政権を与えられるべきなのか、その理由は明らかでない。
むしろ参政権の根拠は、人は誰でも自分が住んでいる地域を権力的に支配している政府の公的意思決定に参加する権利を持っているとか、税金を取られる人はその使い道について発言権を持つべきだ、という発想に求める方が自然である。
そのように考えれば、国籍によって区別せずに、定住外国人にも参政権を認めるのが当然である。
この事情は地方選挙と国政選挙とでは全く変わらない。 ある外国人が、たとえば東京都新宿区の住民だという理由で区政や都政への参政権が認められるなら、日本国の住民だという理由で日本の国政への参政権も認めるべきである。
権力的行政権を持つという点では、国も地方自治体も変わりない。
その一方で、外国に定住している日本人はその
国の参政権を与えられるべきだが、日本の参政権を与える必要はない。
この結論は、近代民主主義国の国民主権の原理にかえて住民主権の原理を採用すべきことを示している。
このことも国家と国民との一体化を防ぐ役に立つだろう。
ハイエクは『法と立法と自由』の中で、公務員や政府年金受給者や失業者のように公金を受け取っている人々に選挙権を与えるべきでないと言っている。
彼らが公金の使い方についての決定に一般人と同様に参加するのは不合理だというのである。
この主張にも一理あるが、そうすると、公務員の扶養家族や、公共事業に依存している会社の従業員とその家族にも、選挙権を与えるべきでない、ということになるだろうか?
何歳から参政権を認めるべきかということも難しい問題である。
子供も大人同様、政治的決定の影響を受ける当事者であり、納税者でもありうるのだから、経験が乏しいとか知性が未熟だといった理由で安易に参政権を否定すべきではない。
少なくとも、高校を卒業した若者に参政権を与えない今の日本の制度は限定的すぎる。
義務教育を終えた人にはすべて参政権を与えてよいだろう。退屈な、あるいは偏った社会科の授業などより、その方がよほど政治に対する若者の関心を高めるだろう。
最後になるが、もし無政府資本主義をとるならば、そもそも国家は無用だから、誰も参政権なるものを持たない。
各人は自分の意思で属している団体の意思決定に参加する権利を持つかもしれないが、その権利の内容は団体内部で決めることである。
つまり、人身の自由や精神的自由や経済的自由といった基本的自由は、政府の有無にかかわらず認められるべき道徳的権利でもある自然権的人権だが、参政権は政府の存在を前提として初めて認められるべき権利だから、同じ「人権」といっても、前者の権利とは大分性質が違う。
参政権を根拠に政府や国家の存在を正当化することはできない。
感想
参政権にはさまざまな論点があることを学びました。
また、公務員や政府年金受給者や失業者のように公金を受け取っている人々に選挙権を与えるべきでないという箇所が極論かもしれませんが、おもしろいと思いました。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進