とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

リバタリアニズムの分類

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


リバタリアニズムの分類

 


リバタリアニズムの中にもさまざまなタイプがある。リバタリアニズムはしばしばその政策的提言が似ているために外部からは一枚岩のように思われがちだが、その主張者たちの議論を検討すると、彼らの理論的基礎が極めて多様であることに気づかざるをえない。

 


かつて京都大学に留学していたオーストラリアのリバタリアンであるデイヴィッド・アスキューが行った分類法をアレンジして、リバタリアニズムのさまざまなタイプを見てみたい。

 


それによると、リバタリアニズムは「いかなる国家(政府)までを正当とみなすか」と「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何か」という二つの論点によって分類することができる。

 


前者の論点については、①国家の廃止を主張する一番ラディカルな立場が「アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)」あるいは「市場アナーキズム」であり、②国家の役割を国防・裁判・治安・その他の公共財の供給、あるいはその一部だけに限定しようとするのが「最小国家論」であり、③それ以外にある程度の福祉・サービス活動も行う小さな政府を唱えるのが「古典的自由主義」である。

 


有名な財政学者のマスグレイヴは、財政政策の課題を資源の最適配分と所得分配の適正化と経済の安定化の三点に求めたが、大部分のリバタリアンはそのいずれも政府の任務ではないと考えるだろう。

 


それどころか、政府よりも自由市場の方がこれら三つの機能の一つあるいはそれ以上をよりよく実現すると考えるかもしれない。

 


個人の自由の正当化の根拠という後者の論点については、①基本的な自由の権利、特に自己所有権に訴えかける「自然権論」と、②自由を尊重する社会の方がその結果として人々が幸福になるとする 「帰結主義」と、③理性的な人々だったらリバタリアンな社会の原理に合意するはずだとする「契約論」に三分できる。

 


感想

 


現在の日本の政策に近いようですが、ぼく自身は「古典的自由主義」と「帰結主義」がいいかなと思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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